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言ノ葉スクラップ・ブッキング〜シーン&シチュ妄想してみた。〜

管理人が妄想したシーンやシチュエーションをショート・ストーリー(?)にしたもの。
ジャンルはファンタジー・恋愛などなど。

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救いの手は、今
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 マンガや小説やドラマの中なら、主人公が困難に陥った時には、必ず“救いの手”が差し伸べられる。
 助けてくれる人だったり、苦境を突破するきっかけだったり……。
 そういうものなのだと、幼い頃は思っていた。

 だけど、私が死にたいくらいに辛かったあの時、救いの手なんかどこにも無かった。
 誰も助けてくれなかったし、解決の糸口さえ見当たらなかった。
 ただ、耐えて、耐えて、耐え続けて……時間が状況を変えてくれるのを待つことしかできなかった。

 救いの手なんて結局、物語を上手く転がすための都合の良い道具に過ぎないんだ。実際には存在しないものなんだ――そう、自分に言い聞かせて、これまでにも数えきれないほど呑み込んできた“悲しい現実”を、またひとつ無理矢理、 ( のど ) の奥に押し込んだ。

 

 時間の流れは、時にじれったく思うほど、じりじりと遅く感じられたけど、それでもちゃんと流れて、ただ耐えるばかりの日々を終わりにしてくれた。
 高校は知人のいない遠い場所を選んで、“中学時代の私”を丸ごと抹消するように、髪型や話し方や持ち物を変えた。
 一緒に過ごす友達もできて、今のところは何事もなく、上手くやれていると思う。

 だけど、友人たちと別れて一人駅のホームに立つと、急にどっと疲れが襲ってくる。

 肉体 (   からだ ) の疲れじゃなくて、 精神 ( こころ ) の疲れだ。

 
 “今までとは違う自分”を演じていることに、後ろめたさがある。
 ボロが出ないように常に気を張って、本当はいつもビクビクしている。
 だけど、いじめが無い分、中学時代よりはずっとマシだ。
 
 スマホを出す気力も無く、ただぼんやりホームにたたずむ私の目に、今日も彼女の姿が引っかかった。
 
 時々このホームで見かける、知らない学校の制服を着た、知らない女の子。
 同い年か、少し年下くらいの彼女の姿が、何故だかひどく気にかかるのは、たぶんあの子が似ているからだ。
 
 黒いゴムで無造作にひとつに束ねた髪。わずかでも目立つのを恐れるように、どこまでも地味に、無難に整えられた身だしなみ。人目に怯えるようにうつむきがちな顔……。
 どこか縮こまって見えるその姿は、かつて私が鏡の中に見ていた“私の姿”そのままに見えた。
 
 「助けて」という一言を口にすることさえできないまま、それでも心の奥底で、もがくように“救いの手”を求めていた頃の私。
 “救いの手”が、どこかにはあるはずだと、まだ微かな希望に(すが)っていた頃の私。

 今はもう捨て去ったはずの、中学時代の私の姿……。
 
 これは私だけが感じている、一方的で勝手な親近感に過ぎないだろう。
 彼女が“かつての私”と同じような目に遭っているかどうかなんて、分からない。
 
 だけど……彼女を見ていると、いつでも胸がピリリと痛む。
 まるで“あの頃の私”が私の中に蘇ってきたようで、行き場のない痛みが内側から胸を刺す。
 心の傷口を自分で抉るような、自傷行為に近いものだと分かっているのに……それでも、気づけば目が彼女を探している。
 
 彼女は、今日も(くら)い目をしている。

 何をするでもなく、ただホームに立ち尽くし、表情の無い顔で、どことも知れない場所を見ている。
 その表情に同期するかのように、かつて私が胸に抱えていたものが蘇ってくる。
 
 それは、哀しみだとか、怒りだとか、痛いだとか辛いだとか、そんな簡単に名を付けられるものじゃない。
 むしろ、そんな分かりやすく名の付いた感情はとっくの昔に通り越して、ただ重苦しい疲労感が身体の全部を覆っている――そんな感覚だ。
 
 ――もう、疲れた。何もしたくない。何も考えたくない。
 誰か助けて欲しい。……誰も助けてくれない。
 どうすれば、こんな毎日が終わってくれるんだろう……。
 
 あの頃の心の声をぼんやり反復(リピート)し続ける私の耳に、電車の到着を知らせるアナウンスが流れ込んで来た。
 その時、電車のドアひとつ分隣にいた彼女が、ふらりと足を踏み出した。
 黄色い点字ブロックの線を越えて、さらに前へ。
 その先には、何も無いのに。
 そこから先へ行っても、待ち受けているのは壮絶な痛みの果ての虚無でしかないのに。
 
 まともに思考を巡らせる暇も無かった。
 気づけば駆けだしていた。
 自分が何をしているのか自覚さえしないまま、気づけば彼女の腕を取り、引き寄せていた。
 
 今まで話したこともない相手だとか、本当に死のうとしていたかどうか分からないだとか、そんなことさえ頭に浮かばなかった。
 ただ反射のように唇を開いていた。
 
「死なないで」
 
 その声は、駅にすべり込んできた電車の警笛に、ほとんどかき消された。
 それでも、目の前にいた彼女には、ちゃんと届いたようだった。
 彼女が、それまで無表情だった顔に驚きの表情(いろ)を浮かべて私を見る。

 
 一瞬だけ、胸がひやりとした。
 私は、何かおかしなことをしているんじゃないだろうか、と。
 
 驚きに見開かれていた彼女の目が、すぐに泣き笑いのようにくしゃりと歪められる。
 自分がしようとしていたことに今さらながら怯えているようなその瞳に、私は自分の行動が正しかったことを悟った。
 
「……どうして……」
 
 彼女が、か細い声で問う。
 
 人の乗り降りもまばらな電車を一本見送って、ホームにふたりきりで取り残される。
 私は何を言いたいのかも分からないまま、急き立てられるように口を開いていた。
 
「消えてしまわないで欲しいの。ここ(・・)にいて欲しいの。……あなたは、私に似てるから」
 
 出てきた言葉は自分でも呆れるほど、脈絡も何もない、意味の分からないものだった。
 だけど――その言葉に、何故か胸がきゅっと(うず)いた。

 
 私によく似た彼女を瞳に映しながら、奇妙な感覚に囚われる。
 目の前にいるのは赤の他人だと分かっているのに……中学時代の自分が、ここにいるような気がする。
 あの頃の自分に、語りかけているように錯覚する。
 
 ……だったら、今の言葉は、私があの頃の自分に言ってあげたい言葉だ。
 あの頃の私が聞きたかった――だけど結局は、誰からも言ってもらえなかった言葉だ。
 
 あの頃、私は自分が嫌いだった。「こんな自分、いなくなってしまえばいい」と思っていた。
 だけど、本当は、嫌いになりたかったわけじゃない。
 その外見や人格(キャラ)や持ち物全てを、要らないもののように捨て去りたかったわけじゃない。
 
 皆がばかにするから――ダメなもののように扱ってくるから、嫌いにならなければいけないような気がしていた。
 変わらなければダメなんだと思っていた。
 
 だけど、本当は、未熟なところも、上手く生きられないところも全部ひっくるめて、私という存在を認めて欲しかった。
 こんな私でも、この世界(・・・・)にいていいんだと、誰かに言って欲しかった。
 私の欲しかった“救いの手”は、きっと、そんな簡単で単純で、ささやかなものだった。
 
 あの頃、望んでも手に入らなかった言葉を、自分の口から聞きながら、今さらのように気づく。
 
 ――そうか。救いの手は、ちゃんとあったんだ。
 もしも、この世界にたったひとつも救いの手が無かったとしても、私が、そのたったひとつを生み出すことはできる。
 
 実際には、こんなちっぽけな手じゃ、誰も救えないかも知れない。
 だけど、誰かを救おうとして伸ばした手が、放った言葉が、逆に自分自身を救ってくれる――そんなことが、あるような気がする。
 だって、今の私がそうだから。
 
 かつての私によく似た、まだ名前も知らない彼女に、私は改めて手を伸ばす。
 
 あの頃、未来も見えない日々の中で、縋るように求め続けていた“救いの手”。
 それが今、やっと、あの日の私に届いた――不思議と、そんな気がした。

 

 

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タイトル
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明治時代・怪盗ファンタジー小説(途中・怪盗アクション後エピソード)
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JUGEMテーマ:時代小説

 

・以前、数シーンだけUPした明治時代の怪盗モノ小説のワンシーンです。
冒頭部分途中部分東京名所デート部分怪盗シーン編物語の核心部分を既にUP済み。)

・通しでちゃんとした形で出すには、かなりの推敲練り直しが必要なため、とりあえず途中途中の何シーンかだけちょこちょこ出しています。

・旭は普段は男装していて対外的には「御曹司(男)」ということになっていますが、正真正銘女の子です。
 


 
 その後、深夜のうちに窓からこっそり雪ヶ崎邸へと戻った旭は、翌日になって雄道の呼び出しを受けていた。
「旭。今日の新聞を読んだか?」
「いえ、まだ。何か面白い記事でも載ってましたか?」
「……白々しいことを申すでない。見ろ。今日の新聞はどれも『新たな盗賊』の話題で持ちきりだ」
 雄道が卓子の上に投げ出した新聞を旭は手に取り目を通す。
「『月下の翼』か。なかなか洒落た名を付ける新聞もあるものですね」
「感想を聞いておるわけではない」
「では何をお聞きになりたいのですか?」
 堂々と白を切ると雄道は深々と溜息をついた。
「これはお前のことだろう。誤魔化したところで無駄だ。背に金色の翼など、お前くらいしか考えられん」
「何を仰いますか。新聞の記事など元よりあまり当てにはならぬもの。ご存命の方の死亡記事が平気で載るような有様なのですから。これだって荒唐無稽な噂話の類でしょう」
「新聞だけならばお前の言を信じてやっても良かったが、あいにくだったな。昨夜は蒼七郎が烏の様子を見守っておったのでな」
「……霧峰が。どうして、そんな。いつもなら烏小僧が何処で盗みをしていようが屋敷で書物に埋もれているのに」
「よく分からぬが、昨夜は何か気懸かりなことがあったようでな」
「……本当に霧峰が見ていたのですか?おじい様、僕を引っ掛けようとしているわけではないですよね?」
「本当だとも。お前のしていた面妖な格好についてまで事細かに語っておったわ。脚が腿まで見えておったとか。全く嘆かわしい。蒼七郎も泣いておったぞ」
 首を振って嘆く雄道に旭は困ったようにこめかみを掻いた。
「霧峰が見ていたのでは仕方ありませんね。そうです。昨夜の『新たな盗賊』は僕ですよ」
 すっかり開き直ったようなその態度に雄道は顔を覆う。
「お前という子は……どういうつもりなのだ。自分の置かれておる立場をきちんと理解してはおらんのか?」
「理解はしております。おじい様が僕のためを思って外へ出さずにいることも、分かっております。……ですが、もう幼子ではないのですから、いつまでも厳重に守っていて下さらずとも大丈夫ですよ。もう自分の身くらい自分で守れます。いつまでも僕を屋敷の中に閉じ込めていられないことくらい、おじい様もお分かりのはずでしょう?」
「……そうだな。それは、分かっておるのだ。だが、まだ早い。まだ良いではないか」
 雄道は顔を覆ったまま、呻くように言葉を発する。
「……お前がこうやって羽目を外すようになったのはあの小僧と出会ってからだな。……あの小僧が羨ましいのか、旭」
「羨ましいだなんて、そんな……。青流には青流の、他人には分からぬ苦しみがあるというのに」
「全く。何かと言っては大人を振り回して困らせるくせに……。肝心な所ではいつもそうやって、他人の心ばかり気にかけて……。困った子だ。お前は、本当に」
 困った子だと言いながら、雄道のその口元は優しく緩められている。
「だが、烏小僧の真似事はいかんぞ。あれは危険な仕事だからな。お前に万一のことがあったら、亡き紅姫に申し訳が立たん」
 雄道の口から出たその名に、旭は一瞬ぴくりと眉を上げた。だが、すぐに何もなかったかのように深く頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
「うむ。外へ出たいのなら今度わしが上野の動物園にでも連れて行ってやるから。今はまだ屋敷の中でおとなしくしていなさい」
「はい……」
 もう一度頭を下げ、部屋を出て行こうと扉に手を掛け……旭は何かを思い出したようにふっと振り返った。
「おじい様……。ここニ、三年でおじい様が買収してきた工場や鉱山は、ほとんどが皆、烏小僧に財を奪われ経営が立ち行かなくなり、戸を鎖るに至った会社のものばかりですよね」
「ん……?そうだったか?確かにそうだったかもしれんが。困っている者達を助けるのは人として当然の行いではないか」
「………………」
 旭は何も言わなかった。ただ、雄道に見えぬよう扉に顔を向け、きゅっと唇を噛みしめた。
 
 雄道との話を終え廊下に出ると、今度は霧峰が待ち構えていた。
「長かったですね。でも今回ばかりは私も旭様のお味方はできませんよ。外の者には関わるなと申し上げてきたはずです。それなのによりにもよって盗人である青流と共に夜の帝都を飛び回るなどとんでもないことです」
「霧峰。お前、あの子に何をさせている?」
 霧峰の言葉を無視して問うと、霧峰は一瞬間を置き苦笑した。
「……『あの子』ですか。青流が聞いたら激怒しますよ。自分ではもう一人前の大人の男のつもりでいるんですから」
「誤魔化すな。青流に三塚家での盗みを指示したのはお前だな?」
 その問いに、霧峰はしばし沈黙した。頭の中で考えを巡らせた後、誤魔化しきれることではないと思ったのか吐息を一つついて口を開く。
「……さすがですね。もうお気づきになられましたか」
「前々からおかしいと思っていたからな。商業上うちと競い合う家があると、必ずと言っていいほど烏小僧に財を盗まれて潰れていく。ずっと、確かめたいと思っていたんだ。……昨夜青流に会って確信した。お前、何ということをさせているんだ。あんな、まだ大人にもなりきれていないような少年に」
「危険な行為だというのは青流も承知の上ですよ。それに、あの子は元々『義賊になりたい』と言って私の弟子になったんです。望みが叶って青流も満足のはずですよ」
「義賊……?雪ヶ崎の邪魔になる家を潰すための企みが、か?」
「盗んだ金はちゃんと貧民窟にばらまいているではありませんか。それにあの子が盗んだものは決して綺麗な金などではありませんよ。他者を陥れ、弱者を踏みつけにするなど、今のこの時代に成り上がった家のどれもが、多かれ少なかれやっていることです」
「そういう問題ではないだろう。他家がどうであろうと、それが雪ヶ崎が悪事を働いて良い理由にはならない。……青流は、自分のやっていることが間違っていると、とうに気づいているぞ。それでもあの子に盗みを続けさせるのか」
 霧峰はしばらく沈黙し、静かに口を開いた。
「間違っていようと何だろうと、今のあの子には必要なんですよ。誰かから『必要とされる』ということが。例え本当に必要とされているのは青流自身ではなく青流の盗んで来る金の方なのだとしても。自分の行為により誰かが救われ、その救った誰かから感謝される。今はまだ、そうやって他人に自分を肯定してもらうことでしか己の生きる意義を見出せないんです。いつか、己の命を懸けても良いと思えるほどの何かと出会うことができたなら、そういうものに頼る必要もなくなるのでしょうけどね」
「……とか何とか言いながら、本当は単に一石二鳥だとでも思っていたのだろう。青流が『烏小僧』になって雪ヶ崎の競争相手から財を盗めば、義賊になりたいという青流の望みも叶うし、雪ヶ崎の利益にもなる。実際は義賊などではないわけだが……」
 旭は一旦言葉を切り溜息をついた。
「お前は時たま損得勘定にばかり頭を回して人の情を考えに入れないことがあるからな。そんなことを続けていると、そのうちあの子に嫌われるぞ」
「仕方がありませんよ。元々私は誰かに好かれるような人間ではありませんから」
「……僕の前でそんな哀しいことを堂々と言うな。僕がお前を嫌っているとでも思うのか」
「旭様……」
「青流だって同じだと思うぞ。……お前だって青流のことを可愛いと思っているのだろう?先刻の言葉、よほど青流のことを真剣に思いやっていないと出てこない言葉のように思えたが」
「……それでも私は、雄道様やあなたのためなら青流のことを平気で切り捨てます。そういう男ですよ、私は」
 旭はしばらく無言だった。が、やがてぽつりと呟く。
「いいじゃないか。他人の感謝に支えられる生き方でも」
「はい?」
「大切なもののためなら他人の感謝も肯定も、他に何も要らないなんてそんな生き方は哀し過ぎるだろう?望むのなら、何一つ棄てず、全て持っていればいいじゃないか」
 真摯な眼差しに、霧峰は一瞬目を見開いた後、どこか苦笑いのような顔で微笑む。
「そういうお考えもあるのでしょうね。ですが私は不器用ですので己の選んだ生き方しか出来ません。それに、例えそう望んでとしても、どちらか一方だけしか選べないという局面は必ずあるものです。あなたにもございますでしょう?そういう局面に立たされた時、他の何を棄てても選び取りたいというものが……」
 霧峰の言葉に旭は何も答えられず目を伏せる。そんな旭をどこか哀しげな瞳で見つめた後、霧峰は話を変えた。
「……それで。私の仕業だとお気づきになった上で、あなたはどうなさるんですか?」
 どこか笑いを含んだようなその問いに、旭は目を伏せたままきゅっと唇を噛む。
「……どうもしない。出来ないだろう。僕がやめろと言ったところでお前が聞くとは思えない。それに、もし今この不正を暴けたとしても……うちが潰れれば、うちで働く全ての人間が職を失くし路頭に迷う」
「その通りです。よくお分かりですね」
「……お前もおじい様も……どうしてそこまでして雪ヶ崎を大きくしたいんだ。このままでも充分じゃないか。たとえ今の時点で全ての事業から手を引いたとしても、おじい様が生きている間くらいは金に困ることはないだろう?」
「金が問題ではないのですよ。大きくしていかなければ、さらに大きなものに潰されていくだけです。強くなければ生き残れない。時代はそういう風に動いているのですから」
「……確かにそうかもしれない。強者が弱者を屠って生きていく――この世は修羅なのかもしれない。けれど、それだけではないだろう?世の中を形作っているのは人なのだから。もっと、優しい所もあっていいはずだろう?人の心に優しさが在れば、世の中だって優しくなるはずだ」
「ええ。そうですね。あなたのように優しい方が世を動かしていくのなら、きっとこの世も優しく美しいものに変わる。私も、そんな世の中を見てみたいと思っていますよ。ですから……もっと齢を重ねられて、雪ヶ崎をお継ぎになられたら、あなたがそういう世の中をお創り下さい。そのお心のままに、優しい世の中を。その時あなたを阻む障害が無いよう、私と雄道様が道を整えておきますから」
 優しい声で告げられ、旭は目を見開いた。
「……違う。僕はそんなこと、望んでいない」
 だがいくら否定しても霧峰はただ笑うばかり。旭は、泣くのを堪えるように眉を寄せ、足早にその場を去った。

 

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ほんの一瞬だけの青春
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JUGEMテーマ:青春(ヤングアダルト)小説

 

 結局、青春なんて、どこにあったんだろう。
 
 三年間、これでも必死に努力してきたつもりだったのに、記録を出すどころか、地区大会の代表にも選ばれなかった。
 
 学園ドラマやスポーツ漫画にあるような熱くてキラキラした青春は、俺の隣にいた、俺よりずっと才能も実力もあるチームメイトのもので、俺はまるで背景の名も無き観衆のように、そいつらの活躍を応援するだけだった。
 
 一体、何のために毎日汗だくになりながら、辛い練習をこなしてきたんだろう。
 いつかは見つけられるかも知れないと思っていた、競技に打ち込む意味も意義も、結局うすらぼんやりして見えないまま、今日でその辛い練習も終わる。

 
 今まで何度も「苦しい」「辞めたい」と思ってきたはずなのに、いざ「今日で最後」となると湧き上がってくる、この感情は何だろう。
 悔しさだとか未練だとか、そんなありきたりな言葉じゃ説明がつかない。
 
 両手にすくった銀の砂が、指の間をすり抜けてさらさらと零れ落ちていく――それを黙って見ていることしかできないような……切なさや、もどかしさに、どこか似た感情。
 

 もう、この先の結果も何も待っていない最後の練習を、ただ決められたスケジュールの通りに淡々とこなしていく。
 
 走って、地を蹴って、高く掲げられたバーを後ろ向きに跳び越える。
 数えきれないほどに繰り返し、もはや習慣のひとつにでもなっているかのような、一連の動作。
 
 けれど、これ(・・)も今日が最後。

 
 何の結果が出せたわけでもないのに。未練に思うほどの成績を残せたわけでもないのに。
 一体、何を惜しんでいるのだろう。
 

 自分でも分からないまま、バーへ向かってひた走る。
 がむしゃらに地を蹴って、助走で貯めた勢いを縦方向の跳躍力へと変換する。
 
 両足が地面から離れ、ほんの一瞬の浮遊感に包まれる。
 

 頭の中が空っぽになり、視界には、ただ青過ぎるほどに青い空の色だけが広がる。
 
 まるで時間さえも止まって、ただ青いばかりの世界に、自分だけが放り込まれてしまったかのように錯覚する、永遠のような――だけど実際には、秒にも満たないかも知れない、一瞬。

 
 その一瞬、ふいに理解した。
 
 俺はただ、この一瞬が好きだった。
 
 踏み切って、バーを跳び越えて、マットに沈み込むまでの間の、ほんの一瞬。
 
 まるで、大地からも重力からも――世界そのものからさえ、自由になれたような……。
 そんな不思議な解放感と爽快感で、頭も胸もいっぱいになる、この一瞬。

 
 この一瞬を味わいたかったから、この競技を選んだ。
 
 誰に褒められなくても、他人より良い結果を残せなかったとしても……ただ、この一瞬の快感を味わいたくて。

 
 記録を追い求める周囲の声や熱気に押し流されて、いつの間にか忘れてしまっていた。
 そのことを、今になって思い出した。
 

 指のすき間から零れ落ちていくように、かけがえのない一瞬が流れ去っていく。
 
 背中からマットに沈んでいきながら、無性に泣きたい気分に襲われた。
 

 俺はこれまでに幾度、この一瞬を繰り返してきただろう。
 これまでは当たり前に在った――けれど、この先はきっと味わうことのできない一瞬を。
 

 もっと早くに気づいておけば良かった。もっと早く思い出せていれば良かった。
 今さら惜しんだところで、もう時は戻らないのに。
 

 マットに倒れ込んだまま、すぐには起き上がらずに、俺は空を見上げ、今の一瞬を反芻する。
 

 ――青春なんて、どこにあるのだろうと思っていた。
 青春なんて、“選ばれた人間”にしか訪れないものなんだと思っていた。
 
 だけど、この一瞬の中に感じていた、身体の奥まで突き抜けるような心地良さは、“選ばれた人間”に与えられた栄光にも劣らないものだった。

 
 こんな、吹けば消えてしまう幻のような、一瞬だけの青春なんて、きっと俺以外の誰にも理解してもらえないだろう。
 
 そもそも、言葉で上手く説明できる自信すら無い。
 
 だけど確かに、ここには青春と呼んでいい何かがあった。何も無かったわけじゃなかった。
 

 この先、競技からも学生時代からも遠く離れた日常の中で、俺はふと、この一瞬を思い出すことがあるだろうか。
 その時、俺は何を思うのだろう。

 
 今日のこの空の色や、グラウンドの空気や、汗ばんで重く感じる身体の感覚や――今はまだ、当たり前にここに在る何もかもを、ちゃんと鮮明に思い出せるだろうか。
 

 せめて、俺がこの一瞬に感じていたものだけは、忘れられずにいるといい。
 
 そうして思い出すたびに、一瞬だけ、身体が世界から解き放たれた気になって、心がふわりと軽くなればいい。そう、思う。
 

 今はまだ想像もつかない未来の自分のために、ひとつでも多くのものを残しておこう――そんなことを考えながら、俺は、今、五感に流れ込んでくる全ての情報(もの)を、忘れないよう、深く胸に刻み込んだ。

 

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明治時代・怪盗ファンタジー小説(途中・怪盗シーン編)
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JUGEMテーマ:オリジナルファンタジー

 

・以前、数シーンだけUPした明治時代怪盗モノ小説のワンシーン(初アクション(?)シーン)です。
冒頭部分途中部分東京名所デート部分物語の核心部分を既にUP済み。)

・アイディアはあるものの、通しで書く時間的余裕が無さそうなので、めぼしいシーンのみ抜き出して書いています。

・旭は普段は男装していて対外的には「御曹司(男)」ということになっていますが、正真正銘女の子です。

 


 

 数日後の夜。青流は大勢の警官に追われ必死で逃げていた。
依頼されていた盗み自体には成功したものの逃走経路の地図に不備があり、抜け道を通っている途中、よりにもよって警官の詰所の真ん前に出てしまったのだ。

 これは間違いなく、先日青流が旭を連れ出したことに対する霧峰の報復だ。……霧峰がそういう男だということを青流はすっかり忘れ果てていた。
(つーか、やばい!このままじゃ逃げ切れないかもしれん。師匠!あんた、くだらん嫉妬だとか自分で言っときながら、嫌がらせはきっちりして来るのかよ!?)
 なまじ盗み自体は成功してしまったものだから、札束の入った重い布袋が邪魔になる。
 霧峰はおそらく、青流ならぎりぎり逃げ切れるだろうと踏んでこんな悪戯を仕組んできたのだろうが、それは過大評価だと訴えたい。事実青流は家屋の屋根に上ったはいいものの、四方の路上を警官達に埋め尽くされ完全に逃げ場を失くしていた。
(やべぇ……本当に逃げ場が無ぇ……。師匠……恨むぞ)
 屋根瓦の上に両手をつき、絶望に項垂れていると、ふいに頭上から声が降ってきた。
「大丈夫か?青流」
 顔を上げて、絶句する。それは、まるで空から天女が降りてきたかと錯覚するような光景だった。
 闇の中、まるでそれ自体が光を放つように白く輝いて見える肌。風に泳ぐ金の髪。向けられた瞳は翠玉の碧。
 音も気配も無く忽然と現れた旭は、あの出会いの夜と同じ夢のように美しい姿で青流の前に立っていた。状況も忘れてその姿に惚けた後、青流はふっと我に返り叫ぶ。
「あんた……っ、何でここにいる!?」
「何故って、青流を助けるために決まっているじゃないか。『烏小僧』が出たと、うちの周りでも大騒ぎだったからな」
 旭は平然と言い、屋根瓦の上を危なげなく、足音一つさせずに青流に歩み寄ってくる。改めてその姿をよく見るなり、青流は喉の奥から絶叫した。
「ぎゃーっ!何だ、その格好はっ!」
 旭は今までに目にしたことのないような突飛な衣装を身につけていた。

 細い脚を覆うのは鮮やかな蒼色の、裾の異様に短い袴。上に着けた白っぽい色の単衣も袖が短く、肘から下は完全に露出している。肩には袴と同色の頭巾の付いた、外套にしてはやけに短い、胸の下辺りまでしか丈のない外衣。そして頭の天辺には鉢巻状に白い幅広の布が巻きつけてあった。
「何って、盗人装束だ。縫に言ってこっそり仕立ててもらったんだ」
「何で仕立てるんだそんな物!縫さんは何も疑問には思わなかったのか!?」
「さあ。僕は縫ではないから分かりかねるが」
「って、そうじゃないっ!それも確かに疑問だが、そうじゃない!お前、何だ!?その袴の短さはっ!」
「これか?」
 言って旭はぴらりと裾をつまんで見せた。袴とは言うものの、その丈は袴にしてはあまりにも短い。膝丈よりもさらに短く、ちょっとつまんだだけで太腿が見えてしまうほどの短さだ。
「ぎゃーっ!めくるなっ!お前っ!脚がっ!脚が見えてるぞ!?」
「それは見えるだろう。この丈なら」
「なんでそんな短い丈にしてるんだーっ!?」
「だって、長いと動きづらいじゃないか。慣れている青流ならともかく、僕では裾のひらひらした長い袴で屋根の上を飛び跳ねたりできない。だから思いきり短くしてくれと縫に頼んだんだ」
「ばかっ!お前はそこまでして屋根の上を飛び跳ねたりしなくていいんだ!」
「しかし動きづらい格好ではどの道警官達から逃げきれないだろう」
「それもそうだが……。って、いやそれよりっ、そんな格好で飛んだり跳ねたりしたら、見えるっ!袴の中が見えちまうだろう!?」
 頬を赤らめて目を逸らす青流とは対照的に、旭は平然と言い放つ。
「大丈夫。下帯なら着けている」
「乙女が男性用下着を身につけるなーっ!」
「女じゃないと言っているだろう。それに仮に女だったとして、だったら何も身に着けるなと言うのか?」
「い、いや、それは……っ」
「だったらいいだろう。この国ではまだ婦人用下着など普及していないのだし」
「だからってなぁ……」
「で、どうだ?この装束は。盗人らしく見えるか?」
 言って旭は青流の前でくるりと一回転して見せる。青流はその姿を上から下まで眺めて深々と溜息をついた。
「駄目だな。なってない。お前、盗人は闇に紛れて目立たず行動するのが基本なんだぞ。なのに何なんだ、その頭に巻いた白い鉢巻は。そんなのがひらひらしてたら目立って仕方ないだろう」
「駄目か?やはり帝都の闇夜を疾風のように駆け抜ける盗賊だったら衣装の一部を風にたなびかせていないと駄目だと思うんだが……」
「……何だ、その思い込みは」
「青流だっていつもその黒外套を風になびかせているじゃないか。それは格好良いと思うからそうしているんだろう?」
「う……っ」
 確かに自分でも多少は格好良いと思っていた青流だが、その手の問いを改めて訊かれると非常に気恥ずかしい。
「ち、違うッ!これは闇に身を紛れさせるという重要な役割がだな……」
「まぁそれは良いとして、悠長に話をしている余裕は無いみたいだな。見ろ、下は警官でいっぱいだ。梯子をかけられてここに上って来られたら終わりだ」
 青流はそこでやっと己の置かれた状況を思い出した。
 見下ろすと、警官達は新たに現れた盗賊――旭を指差し、口々に何かを言っている。
(あぁああぁ……。よりにもよってこんな危険な場所に旭を……。どうすればいいんだ。ここで旭が警官に捕まったりなんかしたら、師匠に殺されかねない。いや、そもそも俺が連れて来たわけじゃないんだが……)
 八方塞がりな状況に、青流は頭を抱えた。旭は面白そうに警官達で埋め尽くされた路地を見渡した後、青流の方へ顔を向け悪戯っぽく笑う。
「助けてあげようか、青流」
「……は?」
「逃げ場が無いんだろう?僕なら君を助けてあげられる」
「何言ってんだ。こんな状況でどうやって……」
 言いかけ、ふっと青流の頭に疑問が湧いた。
(そう言えば、旭……どうやってここへ来たんだ?)
「まあ、見ていろ」
 旭は不敵に笑うと屋根の天辺へと歩いていった。屋根の上には白く月光が降り注いでいる。遮るものの無い場所で全身に光を浴び、旭はそっと目を閉じる。そして一つ息を吸い込むと、両手で大きく宙を掻いた。
 その指先の軌跡を描くように、そこだけ月の光の濃度が変わる。何も無かった宙空に、白金の曲線が現れる。

 それは、凝縮された月光の、糸。旭の指先に絡まり風にたなびく、細く、金色に光る、月の光を紡いで創られた糸だ。旭が両手を動かすたびにその数は増え、光る糸の束となって手のひらに溜まっていく。
 その光の糸を両手の指に絡ませ、旭はまるで舞を舞うかのように屋根の上を音も無く跳ねる。十本の指をあや取りでもするかのように複雑に動かしながら、糸同士を絡ませ、くぐらせ、何かの形を織り成していく。
 踊るように月糸を編む旭自身もまた、薄い光の膜をまとったように淡く光り輝いて見える。
 青流は呼吸さえも忘れてしまったかのように一切の身動きを止め、その光景に魅入っていた。
「出来た」
 旭は目を開け、再び不敵な笑みを見せた。青流は呆然と、織り上がったそれを見つめる。
「……翼?」
 それは、一対の翼。旭の背から伸びた、まるで白鷺の羽根のように優美で繊細な、白金に輝く大きな翼だ。
「では、逃げるぞ」
 言うなり旭は呆然と突っ立っている青流の脇の下に両手を差し入れ、胸に抱え上げるようにして屋根瓦を蹴った。
「ちょ……っ、な……っ!?ぎゃーっ!」
「暴れるな。落ちたら怪我をする」
 悲鳴を上げる青流に忠告し、旭は月光で織られた翼を羽ばたかせる。宙に吊り下げられたような状態の青流は顔面を蒼白にし、身を強張らせた。
 二人は呆然と空を仰ぐ警官達の頭上を易々と飛び越し、更に高く上昇した。しばらくしてこの状況に慣れてきた青流は、顔を上げて旭の翼を見、感嘆の吐息を漏らした。
「すっげぇな、それ……。人の背に翼なんて、まるで烏天狗だ」
その、青流からしたら褒め言葉のつもりだったであろう言葉に、旭の羽ばたきが一瞬止まる。
「ぎゃーっ!?」
 二人の身体は重力に従い急速に高度を落としかけ、だが旭が必死に羽ばたきし直したおかげでかろうじて墜落せずに済んだ。
「あ、危ねぇ……っ!何やってんだ、あんた」
「か、烏天狗って……。他にもっと言いようは無いのか?」
「他って……ああ!鳥女とかか?」
「……『天使』は出て来ないのか?」
「何だ、ソレ」
「……まあ、そうだな。そこらの庶民が西洋の宗教画など見たことあるわけが無いな」
 旭は羽ばたきは止めないまま、何かひどくがっかりした風に項垂れた。

 

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狂恋の王と骸の王妃〜A Tribute to Inês de Castro〜
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JUGEMテーマ:短編小説

 

※流血場面あり(詳細描写は避けていますが)、状況的にホラーな場面あり。

 苦手な方はご注意を。


 

 死の間際に、思った。結局、何が悪かったのだろう……と。
 貴方に愛されたことが悪かったのか、貴方を愛したことが悪かったのか……。
 私が貴方の妃にふさわしい“お姫様”でなかったことが悪かったのか、貴方に既に別の相手が決められていたことが悪かったのか……。
 それとも、貴方と私が出逢ったこと自体が、最悪の災いだったとでも言うのだろうか。
 貴方と私のこの恋は、たくさんの人を不幸にし、悲しませた。それなのに……それでもまだ、貴方を愛している。
 もう、物言わぬ骸としてしか貴方のそばにいられない――それなのに、まだ……。
 
 かつて私は“王子様と結ばれるお姫様”に憧れていた。宮廷で繰り広げられるロマンティックな恋を夢想したりもしたものだ。
 けれど運命が私に与えた役割は“王子様と結ばれるお姫様”ではなく、そのお姫様に仕える“侍女”だった。
 私の父は、王家の血を引くある公爵に仕えていた。国の摂政だったその公爵の姫君が、私の使える主人だった。
 彼女を見ていると、嫌でも思い知らされた。
 運命に選ばれた“お姫様”は、彼女であって私ではない。
 
 彼女は、まるで物語の女主人公のように激動の人生を歩んでいた。
 1歳で即位した王が少年となった時、花嫁として白羽の矢が立ったのが彼女だった。彼女には既に婚約者も内定していたが、国王の妻以上の良縁があるはずもなく、元の婚約は破棄された。
 その元婚約者は、彼女の結婚の翌年に暗殺され……黒幕は国王なのではないかと囁かれた。幼いがゆえにまだ形だけの結婚とは言え、夫に元婚約者を殺されるなんて――それが事実なのだとしたら、まるで泥沼悲劇の筋書のようではないか。
 
 そのまま行けば、彼女は実質的にも“王妃”となるはずだった。しかしこの結婚は長くは続かず終わりを迎え、王妃の座には異国から嫁いできた王女が就くことになり、彼女はまるで入れ替わるように、その王女の弟の元へ嫁がされることとなった。
 神に誓ったはずの結婚を破るなんて、罰当たりなのではないかと思ったものだが、“離婚”ではなく“結婚の無効”なら許されるのだと言う。
 神聖なはずの結婚にもそんな“抜け道”があって、大人や政治の都合でいいように振り回されるものなのだ。
 
 若き王が、実際に彼女のことをどう思っていたのかは分からない。
 ただ彼は、彼女がいざ結婚のために国外へ旅立とうとすると、それを阻んだ。
 そもそも彼は、彼女と別れてまで迎えた新しい王妃に、愛を注ぎはしなかった。まるで義務のように世継ぎだけ産ませると、愛妾を作って王妃を遠ざけていた。
 王女を侮辱された上に花嫁も寄越さないとあっては、嫁ぎ先の国が黙っているはずもない。両国は戦争状態に入り、それは四年も続いた。
 
 それは恋などではなく、何かしらの思惑があってのことだったのかも知れない。
 だが、まだ十歳だった私の目には、まるで一人の花嫁を、二つの国で奪い合っているように見えた。
 新たな王妃を得てもなお、摂政との不和が決定的になってもなお、異国と争うことになってもなお、一人の女を留め続けようとする男――まるでドラマティックな恋物語のようだと思った。
 罪深い考えだと知りながら、私は心のどこかで『自分もそんな風に奪い合われる“お姫様”になりたかった』などと思っていた。
 
 両国の争いは、異教の勢力が拡大してきたことを機に集結し、彼女は改めて異国の王子の元へ嫁ぐこととなった。私も侍女として彼女に同行することになる。
 祖国の王と別れた彼女は、しかし今度は異国の王子の妻となり、いずれはその国の王妃となる。王様や王子様と結ばれるべき人は、きっと生まれた時から決まっていて、どれだけ運命に翻弄されようと、必ず国母の座に就くようになっているのだ――そんな風に感じていた。
 “選ばれたお姫様”でも何でもない“侍女”の私には、きっとこの先も王子様とのロマンスなんて待ってはいないのだ。……あの頃は、そんな風に諦めていた。
 
 貴方と初めて逢った時、私はまだ十四歳だった。
 まだ世の中をよく知りもせず……なのに異国の宮廷で働くことになり、心細さに震えていた。
 家では“貴族の令嬢”でも、この国での私は“新参者の侍女”だ。右も左も分からぬ、おまけに知らない人間ばかりの場所で、女主人のために動き回らなければならない。
 そんな私を気にかけてくれ、優しい言葉と眼差しをくれた五歳年上の“王子様”に、どうしてときめかずにいられただろう。
 
 これが私の片想いなら“王子様に憧れる少女の甘酸っぱい初恋”で終わりにできた。
 いけないことと知りつつも、密かに胸の中で想うだけで諦めていられた。
 けれど、知ってしまった。――貴方も私を愛している。
 “選ばれたお姫様”ではなく、物語であれば脇役としてしか描かれない“侍女”の私を、選んでくれている。
 ――それを知ってしまったら、もう、貴方への想いをどうにもできなくなってしまった。
 
 けれど私たちの恋は、誰からも許されなかった。
 貴方の父である国王は、激怒して私を貴方から引き離した。
 正式な妻がいながら他の女を愛しているのだから当然だ――そう、頭では理解しながらも、心の底ではこう思っていた。
 ――義務として嫁いできただけの彼女より、私の方が貴方を愛している。貴女も、彼女より私の方を愛してくれているのに、どうしてそれが認められないのだろう。『愛は尊いもの』と教えながら、真実の愛よりも偽りの愛を優先させるのは何故なのだろう、と。
 十代の頃の私はそんな風に、ただ理不尽な世界を嘆いてばかりだった。
 勝手も分からぬ異国の地で、幽閉同然に自由を奪われ、周囲から“王子を誑かした悪女”と後ろ指をさされ続け……自分が何のために生きているのか、どうしてここにいるのか、分からなくなりそうだった。
 ただ、貴方が私を愛してくれているという事実だけが、心の支えであり、唯一の希望だった。
 いつか貴方が迎えに来て、私をこの苦境から救ってくれる――そう、信じていた。
 
 けれど、そんな私の“救い”は、彼女の不幸と表裏一体のものだった。
 次期国王の妃として世継ぎの男子を産んで二週間も経たぬうちに、彼女は帰らぬ人となった。
 お産の後に母親が亡くなることは、決して珍しいことではない。それはどれほど高貴な女性であっても同じことだ。私にとっても他人事ではない。
 だから、その話を聞いた時、様々な感情が込み上げ、胸の内を渦巻いた。
 お産と死への恐怖、彼女への同情、そして――やるせないほどの罪悪感。
 ……彼女は、どう思っていたのだろうか。自分を愛していない夫の子を産んで死ぬことを……。彼女は、どう思っていたのだろうか。貴女という夫のことを……そして、貴方の愛を奪い取り、妃としてのプライドを傷つけた私のことを……。
 初めてそのことに思い至り、震えるような恐ろしさを感じた。
 ただ恋に落ち、愛し愛される……そのことが、いつの間にか別の誰かを不幸にしている。
 恋を邪魔され、苦境に堕とされ、自分ばかりが被害者だと思っていた。貴女の妃でいられる彼女を、妬ましく思ったこともある。
 けれど彼女の目から見れば、私こそが最悪の“加害者”だったのかも知れない。
 そんな罪の意識に慄きながら……それでも私は、迎えに来てくれた貴方の手を、拒むことができなかった。
 
 初めて逢った日から六年の月日が流れ、私はもう“少女”ではなくなっていた。
 面差しも変わっていたはずだ。それでも貴方は、変わらず愛しげな眼差しで私を見つめてくれた。今度こそ私を妻に迎えてくれると言った。
 私たちは共に暮らし始め、子も生まれた。けれど、やはり正式な婚姻が認められることはなかった。
 国王は私のことを許さず、彼の臣下たちもそれに倣って私を蔑んだ。
 その一方で、貴方の寵愛を受ける私に近寄ってくる者たちもいた。私の兄弟たち、国を逃れて来た亡命貴族……。
 危ういことと薄々感じながらも、私は彼らを受け入れ、貴方に近づけてしまった。
 敵しかいない異国の宮廷に、私の“味方”が増えていくのは、何とも言えない安心感をもたらした。張りつめた日々の後に訪れた、その心の安息に酔わされて、危うい予感から目を逸らしてしまった。
 宮廷内で存在感を増していく“私”は、廷臣たちにとって苦々しいものでしかなかったのに……。
 そうしてついに、私を排除しようとする者たちが、国王の耳に酷い噂話を吹き込んだ。――私と貴方が、彼女の産んだ世継ぎの王子ではなく、私たちの間に生まれた子を王位に就けようとしている、と……。
 
 それはきっと、国王の逆鱗に触れる讒言だった。
 なぜならその国王も、かつては愛妾の産んだ庶出の兄に、父親の愛も王位も全てを奪われかけ、反乱を起こしていたのだから……。
 私は貴方の留守中に子どもたちと共に捕らわれ、国王の前に引きずり出された。
 私に向けられた国王の眼差しは、人間を見る目ではなかった。まるで汚らわしいモノでも見つめるような、冷たい瞳。
 私を“息子を惑わす悪女”と決めつけ、断罪することに何の疑いも抱いていない瞳。
 この人はきっと、自分の中の善悪の基準を、絶対のものと信じている。
 自分が善いと信じたものは誰にとっても善いもので、自分が悪だと断じたものは世界にとっても悪だと思っている。だから、貴方の気持ちにも、私の想いにも、耳すら貸さずに拒絶するのだ。
 だけど……大の男がこんな風にコソコソと、貴方のいない隙を狙って女子供ばかりを攫い、一方的に罪を突きつけて命を奪おうとする……この行為の一体どこに、正義があると言うのだろう。
 
 私を取り囲む男たちの殺意に、私は悟った。――これはもう、助からない。
 絶望と恐怖に心が支配されかけたその時、私の目に子どもたちの顔が映った。私と同じく、絶望と恐怖に怯えた顔……。
 この子たちだけは、私の道連れにしてはいけない。たとえ私と貴方の恋が道に外れた禁忌なのだとしても、何も知らずに生まれてきたこの子たちに罪などあろうはずがない。
 私は震える唇を開いて、国王に訴えかけた。――どうか、子どもたちだけは助けて欲しい。この子たちは私の子であると同時に、国王の血を引く“孫”なのだから、と。
 必死に訴えるうちに、国王の表情が変わっていくのが分かった。
 モノを見るような冷酷は目から、何かを憐れむような瞳へと……。
 もしかして、私の想いが通じたのだろうか。私たちのことを憐れに思って、子どもたちだけでなく、私のことも見逃してくれるだろうか――ほんの一瞬、そんな希望を抱いた。
 けれど国王は、子どもたちの命を奪うことだけを禁じると、私に憎悪の視線を向ける男たちに「その女はお前たちの好きにせよ」と言い放ち、その場を去っていってしまった。
 なんて酷い人なのだろう。どの道、私が殺されることを知りながら『自分は決断を避けたのだから関わりが無い』とばかりに、結果も見ずに逃げたのだ。
 
 子どもたちの泣き叫ぶ声が聞こえる。
 ――ごめんなさい。こんな残酷な別れになってしまうなんて……。ごめんなさい。私の子どもに産んでしまって……。
 もはや避けようもない死を前に、心の中で、愛する全てのものに別れを告げる。
 もう成長を見守ってあげられない子どもたち、異国の宮廷まで来てくれた兄弟たち、そして……最期に頭を過ったのは、貴方だった。
 その瞬間、思った。
 結局、何が悪かったのだろう。何をどうすれば、私たちは幸福に人生を終えることができたのだろう、と。
 答えは見出せないまま、私の人生はそこで途切れた。
 
 それから季節は二度巡り……今、私はなぜか大聖堂で壮麗な儀式に臨んでいる。
 身動きひとつできぬ骸の身体に豪華な衣装を着せられ、頭には王妃の冠を戴いている。隣には、国王の冠を戴いた貴方の姿。
 父王が亡くなり新たな王となった貴方は、私を墓の下から掘り起こし、王妃戴冠の儀式を行ったのだ。
 亡者を王妃に据えるなんて、皆から正気を疑われる行為でしょうに……。
 ……いいえ。貴女はもう既に、心を狂わせてしまっているのかも知れない。
 
 かつて私を悪女と蔑んだ者たちに、貴方は私への忠誠を求める。臣下として、王妃となった私の手にくちづけをせよ、と。
 そんなことをしても、私が生き返れるわけではないのに。そんなことをしても、貴方が狂王と嫌悪されるだけでしょうに……。
 生前の美しさなど見る影もない骨と皮ばかりの姿を人目に晒して、嬉しく思う女がいると思うのかしら。恐怖に引き攣った顔で忠誠のくちづけをされて、喜ぶ女がいるとでも思うのかしら。こんな愚かな復讐に、意味など無いのに……。
 なのに…………心のどこかで、嬉しく思っている私がいる。狂気じみたこの愛に、戦慄を覚えながらも、密かに喜ぶ私がいる。
 貴方の愛を疑っていたわけではないけれど、こんな姿に変わり果ててもまだ、愛してくれるなんて思わなかった。死した後も尚、愛し続けてくれるなんて思わなかった。
 こんな愛に出逢えただけでも、私の人生は幸せだったのかも知れない。
 ……けれど、取り残された貴方の方は、果たしてどうなのかしら。
 
 生きている間は、結局何が悪かったのか、答えを見つけることができなかった。
 でも、今になってやっと分かった気がする。
 もしかしたら、私のこんな“想い”こそが、全ての元凶だったのかも知れない、と。
 貴方に愛されることばかりを望んで、貴方が守ってくれることに甘えて、貴方に全てを委ねてしまっていた。
 自分の置かれた状況も、この国の行く末も、深く考えることもせず、ただ貴方の与えてくれる過保護なまでの愛に溺れてしまった。
 たとえ一国の王子であろうと王であろうと、運命の前では無力で、誰かを完璧に守りきることなど決してできはしないのに。“男に守られるだけのか弱い女”を理想として求められても、本当にそんな力無き存在で生きていられるほど、この世界はやさしくできてはいないのに……。
 貴方に守ってもらうだけではなく、自らも戦う力を身につけておけば良かった。自分の運命を自分で切り拓く力を、身につけておくべきだったのに……。今となってはもう、何もかもが遅い。
 
 骸となった私を、それでも貴方は変わらず愛しげな眼差しで見つめてくれる。けれどその瞳には、拭いようのない寂しさと哀しみの色が宿っている。
 ……ごめんなさい。こんなに愛してくれているのに、私は貴方を幸せにできなかった。悲しみと絶望を与え、狂気に堕としてしまった。
 それなのに、まだ貴方を愛している。もう貴方のために、何ひとつしてあげられないのに。
 私に触れる貴方の手を握り返すことも、貴方の名を呼ぶことさえ、できはしないのに。
 それでもまだ、貴方を愛している。
 もう、あの頃のように気持ちを通じ合わせることができなくても。声も想いも、何ひとつ貴方に届かなくても。
 それでも、ずっと……今も……。
 
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明治時代・怪盗ファンタジー小説 (物語の核心部分・抜粋)
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JUGEMテーマ:時代小説

 

・アイディアはあるものの、通しで書く時間的余裕が無さそうな明治時代怪盗モノ小説の途中部分です。
 
冒頭部分途中部分明治東京名所デート部分が既にUP済みです。)
 
・そのまま全没にするのはもったいないので、アイディアができている部分のみリサイクルしています。
 
・今回は物語の核心に迫る部分がちょこちょこ書いてあります。
 
・めぼしいシーンのみ抜き出して書いているので、段落と段落がつながっていません。
 


 

「不運だったな、旭。まさかこの場にもう一人、お前を狙う人間がいるとは思わなかったろう?――私にとっては、大変に幸運な偶然だったが、な」
「あ……あ……きよみち……さん……?」
 旭が呆然と名を呼ぶ。その名に、青流は旭を捕える男の正体を知った。
(雪ヶ崎清道……!?この男が病気療養中の旭の父親……!?)
「清道さん……お元気、なのですね?お身体はもう、よろしいのですね……?」
 羽交い締めにされているというのに、清道を見つめる旭の目は歓喜に満ちていた。頬も紅潮し、普段の旭なら決して浮かべることのない、まるで久々に想い人に会えた乙女のような顔になっていた。
 一方、それを見下ろす清道は苦虫を噛み潰したような渋い顔で吐き捨てる。
「紅のような言い方をするな……。と言っても無理か。お前は間違いなく紅の“人形”なのだからな」
「人形……?」
(さっきから、何言ってんだ、この男。紅って、確か旭の母親の名前だよな?月織部の姫だったとかいう……)
「清道さん、どうかお考えを改めてください。月織部への復讐などやめて、私と一緒に穏やかに暮らしましょう。おじい様だって、話せばきっと分かって……」
「何を言っているのだ?お前と穏やかに暮らす?紅でもない、ただの人形のお前と暮らして、私が幸せだとでも思うのか?私が求めていたのは、紅ただ一人。それが喪われた今、復讐以外に何を望めと言うのだ?」
「紅ならここにいます!姿かたちは変わっても、私の心と思い出は、変わらずここに遺っています!そのために私は命を懸けて……」
 旭は必死に訴えかける。だが清道は冷たく拒絶した。
「お前は紅ではない。紅の紡いだただの人形。そこに紅の記憶を写しただけのモノに過ぎん」
「そんな……私は、あなたに“子”を遺して差し上げたくて……」
「私の血を引いてもいない子を紡いで死なれるより、私は紅自身に一日でも長く生きていて欲しかったよ。……だが、今、お前という存在がここにいることには感謝しているのだ」
「清道……さん……?」
「私一人では、どう足掻いても月織部一族を滅ぼすことはできんからな。歴代最高の月織姫の力を受け継いだ、お前という存在が必要だ。手を貸してくれるだろう?お前は私の所有物なのだから」

 



「……みっともない姿を見せてしまったな。あの人の前に出ると、僕は僕でいられなくなる」
「どういうことなんだ、さっきの。わけが分からないことだらけだったが……あの人、お前の父親じゃないのか?お前は、雪ヶ崎旭じゃないのか?あの人と話している時のお前、まるで……」
(まるで、あの男に恋してるみたいに見えた……)
 そう思いはしたものの、何となく口にできず、青流はただ戸惑った瞳で旭を見つめる。旭は苦笑して口を開いた。
「僕は人間じゃない。月織姫・紅の生みだした月の光の人形だ」
「は!?お前、何言って……」
「僕を生み出した『母』――紅姫は、生来身体の弱い人間だった。とても追っ手を振り切っての逃亡に耐えられるような身体ではなかった。だから、駆落ちの最中に倒れて……その死の間際に僕を織ったんだ。ただ一人遺していく清道様のために。清道様が自分の後を追って命を絶つことの無いよう、自分の代わりに清道様を愛し、支える『娘』として……」
 旭は一旦言葉を切り、ぎゅっと目を閉じた。脳裏に声が蘇る。『旭』としての一番最初の記憶。生みだしたばかりの旭をその腕に抱き、死にゆく紅が清道に向け告げた、最期の言葉。

 ――清道さん……ご覧になって……。私たちの『娘』です。目元は私に、鼻筋はあなたに似ているでしょう……?あなたの望み通り、一番初めは……女の子。約束通り、ちゃんと清道さんの子……生んであげられて……良かっ……た。
 
「月糸により生みだされたモノは、月が沈み朝日が昇れば消えゆく運命。たとえ月織姫であっても、月の光の届かぬ場所でも実体を保ち続ける月糸細工を生むなど、不可能なはずだった……。だが紅は、一縷の望みをかけ、己の命、想い、全てを籠めて月糸を織り上げた。そうして生まれた僕は朝が来ても消えることなく残り……僕の代わりに、紅の方が朝日に溶けてこの世から消え失せた……」
 青流の脳裏に、これまでの月織部一族との闘いが蘇る。月織部の刺客の生みだした月糸細工は確かに、朝日が昇ると皆、溶けるように消え失せていった。
「ただ一つ、誤算があったんだ。紅はただ、あの人への漠然とした“想い”だけを籠められれば良いと思っていた。だけど僕に織り込まれたのは、生まれてから死ぬまでの紅の記憶の全て。月織姫としての記憶も、あの人への恋心も、僕の中には全て、薄れることも色褪せることもなく織り込まれてしまった。紅に似せて創られても、記憶を受け継いでいても、決して紅本人ではない僕が、あの人に愛されることなどありはしないのに……」

 



「なぁ、青流。お前を腹心の友と見込んで頼みがあるんだが」
「なんだ?……っつーか、お前、そろそろ止めとけよ。酒、呑み慣れてないんだろ?」
 何となく言葉が怪しくなってきた旭の手から徳利を取り上げ、青流はその顔を心配そうに覗き込む。そんな青流を真剣な目で見つめ返し、旭はとんでもないことを言い出した。
「……僕の…心を……盗んでくれ……」
 一瞬何を言われたのか分からず呆気にとられた後、青流はすぐに耳まで真っ赤になった。
「はぁ!?何言って……お前っ、さては酔ってるな!?」
「こんなこと、素面で頼めるものか。お前、盗めないものは無いんだろう?だったら僕の心を盗んでみせろ。そうすれば僕の能力も頭脳も自ずとお前のものになるのだぞ。悪くない話だろう?」
「…………何故、そんなことを俺に頼む?」
 旭の心を量りかねて、青流はひとまず、浮かんだ問いを口にする。
「………………恋が、したいんだ」
「…………あ?」
「恋が、したいんだよ。“母上”の思い出に縛られた偽りの恋でなく、僕だけの真の恋が。そうすれば、僕はあの人の呪縛から逃れられる。己の恋を糧にして、生きていける……」
 その答えに、青流の胸がずきりと痛んだ。
(あの人への恋心から逃れるために別の恋がしたいなんて、そんな考え自体がもう、縛られてるようなもんじゃねぇか……)
「ばかか、お前。恋なんてしようと思ってするもんじゃねえだろ。まして、誰でもいいなんて」
(そんな『誰でもいい』で選ばれたんじゃ、俺が情けなさ過ぎるだろうがよ……)
 酒に潤んだ瞳から目を逸らして咎めると、旭はむっとしたように頬をふくらませた。
「誰でもいいなんてわけじゃ…な……」
 だが、その言葉は全てを言い終わらぬうちに途切れた。見ると、旭は机の上に顔を伏せ寝息を立てている。
「……あぁ、もう。慣れねぇ酒をこんな呑むから……」
 青流は盛大な溜め息をつき、眠る旭の背に羽織をかけてやる。
「……盗めるもんなら盗んでやりてぇよ。何せ、俺の心はもうとっくにお前に……」
 言いかけ、青流はハッと言葉を止め、旭の顔を間近から覗き込む。
「おい。本当に寝てるんだろうな?寝たふりして起きてないよな?」
 しつこいくらいに確認し、青流は旭の依頼に答えを返す。
「お前がそう望むなら、盗んでやるよ。お前が言ったんだからな。後で悔いたって知らねぇぞ」
 

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在位九日の少女王の恋 〜A Tribute to Lady Jane Grey〜
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JUGEMテーマ:短編小説

 

 二月の冷たい風に、僕の処刑を見るために集まった冷たい群衆の視線。
 最期に見るのがこんな光景だとは、僕もよくよく救われない。
 せめて、もう一度、君に会ってから死にたかった。君の顔を見て、君の声を聴いて、君と悲しみを分かち合ってから死にたかった。
 だけど、本当は分かっている。君と僕とが同じ気持ちを分かち合うことはできないと。
 夫婦として契りを交わしても、心まで分かり合えるわけじゃない。君と僕が互いを分かり合うには、時間があまりに短過ぎた。
 式を挙げて一年足らず。実質的に夫婦として共に過ごせたのは、わずか2ヶ月……。
 それでも僕は君を愛していたけれど、この想いは、ちゃんと君に伝わっていただろうか。
 分かっていて欲しい。だけど、分かってもらえていなくても……君が僕を愛してくれていなくても、仕方がないことなのかも知れない。
 僕は君を、この呪われた家系に引きずり込んだ。この破滅の運命に、君まで巻き込んでしまった。
 君はもう、この運命を受け入れたと、人伝に聞いたけれど、僕はまだ諦めきれてはいない。
 だって、未だに分からないんだ。僕と君に、死に値するような罪なんて、本当にあったのだろうか、と。

 僕の祖父が首を ( ) ねられたのは、僕の父がまだ子どもの頃のことだったと言う。
 祖父は税の徴収に関わる仕事を任されていて、その仕事柄、人の恨みを買うことも多々あったらしい。税収は国の大切な財源だ。取り立てる相手から嫌われようと、誰かがその役目を負わなければならない。
 けれど祖父が憎まれ役を買ってまで果たした務めの代償は、大逆罪による処刑という、割に合わないにもほどがあるシロモノだった。
 祖父を死に追いやったのは、祖父が仕えた王の息子。それまでどれだけ王に忠誠を尽くそうと、その王が崩御し御代が替われば、全ての関係がリセットされる。
 新たな王は、祖父が恨みを買う立場にあったのを良いことに、国民の不満の矛先を全て祖父に向けさせ処刑することで、自らの地位を盤石なものにしたのだと、父は語った。
 権力とは、そして王の代替わりとは、それほどに危険で理不尽で恐ろしいものなのだ、とも……。
 祖父を殺した新たな王は、自らに尽くした重臣さえ、わずかの失敗で首を刎ねた。妃すらも次々と替え、そのうち二人を処刑場に送った。
 少しの過ちが文字通り“命取り”になりかねない、綱渡りのような危うい時代――そんな時代を生き抜いてきたせいか、父は 権力 ( ちから ) というものに固執した。
 権力の無い者に生き残る資格は無い――全てを手に入れるか、全てを喪うか、二つに一つなのだと、そう言うかのように……。
 

 祖父を殺した王が崩御し、後を継いだのは、まだ9歳の少年王。すぐに有力貴族の間で、実権を握るための争いが始まった。
息子が一部の廷臣の操り人形にならないようにと遺された先王の遺言は無視され、結局は新王の母方の伯父が摂政の座を手に入れた。だが、そんな彼もまた謀略に敗れ、その座を失った。彼を罠にはめ、処刑場送りにしたのが、僕の父だ。
 父が手を汚してまで手に入れた、実質的なこの国の最高権力者の地位……。けれどそれは、あまりにも儚いものだった。
 父の仕えた少年王は生来病弱で、その命が長くないであろうことは誰の目にも明らかだった。
 すぐにでも、また王の代替わりがある。……そして次の王になるであろう人物は、父にとってあまりにも都合の悪い相手だった。

 君との縁談が決まった時、僕は父の思惑も知らされていた。
 間もなく命尽きるであろう少年王の次の“寄生先”として、父は君に目をつけた。
 王家の血を引く君を僕と結婚させ、本来の継承順を飛び越えてでも次の新たな王に据えてしまえば、父の権力と命は守られる。
 全てを知っていて、それでも僕は逆らわなかった。家を継ぐ長男でもなく、まだ二十歳にも満たない若造の僕に、発言権など無きに等しい。それに、このまま父が失脚し処刑されるのを黙って見ていることもできない。
 ただ、何も知らずにこの家の運命に巻き込まれる君を「可哀想だ」と思ったのを覚えている。

 貴族の結婚は、本人同士の意思など入り込む余地も無く、家同士の思惑で勝手に決められるのがほとんどだ。
 上に兄が三人もいて家督を継ぐ可能性などほとんど無い僕は、早いうちから女性の扱いを覚えさせられた。
 権力も財力も持たぬ部屋住みの身でも、身分の高い女性に取り入ることができたなら、出生栄達が望める。
 美形の多い我が家の血は、幸い僕にもきちんと受け継がれていて、女性の人気はそれなりにあった。けれど、そんな外見や恋の手管など、君にはまるで通用しなかった。

 君がこの結婚に乗り気でないのは、顔を見ればすぐに分かった。
 その心を解きほぐそうと、優しく微笑みかけても、甘い言葉を囁いても、君の顔は曇ったままだった。
 これは駄目かも知れないと諦めかけていたのに――君は、結婚披露宴の食事にあたって倒れた僕を、優しく気遣ってくれた。
 意に染まない政略結婚のはずなのに……僕のことを嫌っていると思っていたのに、どうしてそんなことをしてくれるのか……。不思議な 女性 ( ひと ) だと思った。

 君は、今まで僕が出逢ってきたどんな女性とも――いや、どんな人間とも違っていた。
 貴族の子女として親の言いなりに育ってきたのは僕と同じはずなのに、君には“自分”というものがしっかりあるように感じられた。
 逆らえば叱責されると分かっているのに、親や歳の離れた大人たち相手に堂々と自分の意見を告げる君を、尊敬にも近い感情で見ていた。
 経験も人脈も何の権力も持たない僕たちは、ただ周りに流されることしかできなかったけれど、それでも君は諦めずに戦おうとしていた。
 僕には無いその毅さを、眩しく思った。それでも報われず苦しむ君を、自分のことのように哀しく思っていた。

 君を知るまで、僕は恋を知った気になって、その実、全く分かっていなかった。
 恋の“形”ばかりを先に覚え込まされて、それが全てなのだと思い込んでいた。身体さえ結ばれれば、それで良いのだと思っていた。
 だけど……どれほど肌を触れ合わせても、満たされない想いがあることを、初めて知った。
 形ばかりの契りを交わしても心が通い合わない空しさを、初めて知った。

 君はきっと、元々とても情が深い人なのだろう。
 嫌々結婚したはずの僕とも、向き合う努力をしてくれた。少しずつではあったけれど、笑顔を見せてくれるようになった。時折見られるその微笑みが、滅多に見つけられない宝物を見つけたようで、僕は好きだった。
 君にも僕を好きになって欲しかった。君をもっと笑わせたかった。けれど、僕にはどうすれば良いのか分からなかった。
 君は、口でいくら容姿を褒めたところで、世辞だと思って聞き入れてくれない。他の女性なら通じるアプローチも、君にはまるで効果が無い。
 ただ、君の好きな古代ギリシャの話をねだった時には、嬉しそうに語ってくれた。
 本当は、僕が興味があったのは同じ古代ギリシャでも芸術に関することで、君の好きなギリシャ哲学とは話題が少しズレていたのだけど……珍しく目を輝かせて語る君の顔を見ていたくて、言い出せずにずっと難しい哲学の話を聞き続けてしまった。
 あのまま、少しずつでも心を近づけ合って、本当の夫婦になっていけたら良かったのに……。

 君と結婚してから2ヶ月も経たないうちに、身体の弱かった少年王はとうとう崩御してしまった。遺言書で時期国王に指名されたのは、君。――もちろん父の策略だった。
 何も知らされていなかった君は、半狂乱になって拒否したね。でも、結局は周りの大人たちに押し切られてしまった。あの時の僕には、どうして君がそこまで即位を渋るのか、まるで理解できなかった。

 王とは言うまでもなく、この国の最高権力者だ。その座にあれば、誰に脅かされることも、誰の機嫌を窺う必要も無い。権力者の気まぐれに怯え、未来の自分が斬首される悪夢にうなされることもない。愛する家族だって友人だって誰からも傷つけられないように守ることができるし、誰に気兼ねすることもなく言いたいことが言え、国の行く末さえ自分の望む方向に動かせる。
 そんな素晴らしい地位が手に入るのに、なぜ自分からそれを棄てようとするのだろう――あの時の僕は、ただ単純にそんなことを思っていた。

 父は当初、君の伴侶である僕も、王として一緒に即位させるつもりだった。だけど君は、それだけは断固として拒否した。
 その日、僕と君は初めてケンカをした。
 君は僕に言ったね。「王位なんて、貴方が考えているほど素晴らしいものでも何でもない」と。
 それは、きっとそうだろう。僕だって、王位がただ素晴らしいだけのものだなんて思っていない。
 だけど君の語るそれは、王位さえ望める血を持ち生まれたから言えることだ。玉座に就いた後の重圧や責任への不安など、その可能性をわずかでも持っているからこそ考えつくことだ。
 自分より強い権力を持つ者にびくびくし、自分と家族の未来のために少しでも高い地位を渇望する人間の気持ちなど、きっと君には分からない。
 これまでに何百、何千、いや何万という人間が、心密かに王の座を夢見、けれど叶うはずもない夢と諦めてきたことだろう。どれほどの数の人間が、王の理不尽な命に苦しみ『なぜ自分ではなく、あの男が王として生まれついたのか』と運命を呪ったことだろう。
 綺麗事だけでは大事なものは守れない。手に入れられる時に力を手に入れておかなければ、いざと言う時、命取りになる――僕は、そう聞かされて育った。
 君が嫌がり拒否しようとしたその王冠を、僕は煮えたぎる湯の中からだって拾い上げたいほどに欲しかった。
 本来“王族”という選ばれた血筋でなければ望むべくもないそれを、王族でも何でもない、まして反逆者として裁かれた者の血を引く僕が手に入れるなんて、まるで途方もない奇跡のようじゃないか。
 ――だけど、その奇跡を君は否定した。
 どれほど言葉を尽くしても君には分かってもらえなくて、君と僕とは違う人間なのだと、絶望的なまでに思い知らされた。

 あんな言い争いをして、てっきり君にはもう嫌われてしまったと思ったのに、母が怒って僕を実家へ連れ戻そうとした時、君は女王の威厳でもって母を黙らせ、僕を引き留めた。
 意見の合わない僕を、なぜ君はそれでもそばに置いてくれたのだろう。あの時の君の気持が、未だに僕にはよく分からないんだ。

 君がなぜ、あれほど王位を疎んでいたのか、今では僕もさすがに理解している。
 玉座の上には、髪の毛のような細い糸で吊り下げられた剣があり、そこに座る者の命を常に脅かしている――“ダモクレスの剣”と呼ばれるその故事は、確か君が好きな古代ギリシャのものだったね。
 王という立場でさえ、安泰なものなどでは決してなく、臣下の裏切りや民衆の反乱に常に脅かされ続ける。そのことを僕が思い出したのは、実際に己の立場と命を脅かされてからだった。
 僕たちは王位を守りきるにはあまりに若く、その上、周りの大人たちはまるで頼りにならなかった。
 本来王位を継承するはずだった姫君が挙兵すると、廷臣たちはあっさり僕たちを見放した。
 父は、現在の国教とは違う古い宗教を信仰する姫君に皆の支持は集まらないと踏んでいたらしい。が、実際には宗教の違いより何より、血の正当さこそを国民は支持した。

 彼女を支持した人間のうちどれほどが、彼女が王位に就いた後のこの国の姿をちゃんと見据えていただろう。
 君を見限った人間のどれほどが、君の毅さや優しさを、ちゃんと知っていただろう。
 王の人格でも目指す国の姿でもなく、“正当な王位継承者が不当に簒奪された王冠を奪い返す”という、よくある分かりやすい 物語 ( ストーリー ) を、国民は選んだ。
 君と僕は反逆者として為す術もなく捕らわれ、牢へと送られた。
 君が王位に就いて九日。あまりに短い在位だった。

 僕には未だに分からない。結局、何が悪かったのかと。
 君が、もっと王位に近い血に生まれなかったのが悪かったのか。僕が、権力を得るために手段を選ばないような父の下に生まれたのが悪かったのか。
 それともこの世界が、自分の命を守るために他者を犠牲にしなければいけないような、そんな残酷な世界なのが悪かったのか。
 結局、何をどう生きれば、僕と君は幸せになれたのだろう。それとも全ては運命により予め定められていて、何をどう足掻いたところで、何ひとつ変えられなかったのだろうか。

 牢に入れられてから5ヶ月近くが経ち、とうとう僕たちの処刑の日が決まった。
 それを告げられた時には怯えて泣き喚いたりもしたけれど、今は何とか虚勢を張ることができている。もう、泣こうが喚こうが、事態は変わらないから。せめて立派な最期だったと観衆の同情を買えるよう、恐怖を堪えて演技する。
 ヒトは単純で気まぐれな生き物だから、悪人だと蔑んだ相手でさえ、健気で堂々とした態度を見れば簡単に憐れんでくれたりする。まして君はまだ十六歳。僕もまだ二十歳にも満たない若さだ。
 そんな僕たちへの同情は、この処刑を決定した残酷な新女王への不信感や不満となって新しい御代に陰を落とすだろう。僕にできる抵抗は、もはやそれくらいしか残されていないのだ。

 本当は今も、恐くて仕方がない。なのに、妙に実感が湧かないでいる。
 今はこうして確かに物を考え生きている僕が、明日には――いや、数分後にはもう存在しないなんて、どういうことなのか理解が及ばな過ぎて、想像もつかない。
 死そのものに対する恐怖より、そのために与えられる痛みへの恐怖の方が勝っているくらいだ。

 44年前に僕の祖父が斬首刑に処せられ、半年前には父も首を刎ねられた。そして今日はこの僕が……。
 三代も続けて大逆の罪で処刑されていれば、充分“呪われた家”と呼べるだろう。
 祖父は、そして父は、どんな気持ちでこの時を迎えたのだろう。
 そして、今日という同じ日、僕の後に処刑の時を迎えるはずの君は……。

 昨日、最期に一目君に会いたいと望んだのに、君は「会っても辛くなるだけだから」と拒否した。
 その言葉は、君の本心なのだろうか。本当は、この運命に巻き込んだ僕を憎み、顔も見たくないと思っているのではないだろうか。
 僕は、君に憎まれても仕方のない男だ。
 だって僕と結婚したせいで、君は今日、命を喪ってしまうと言うのに、それでも僕は君と夫婦になれたことを幸せだったと思ってしまっている。
 君と僕が結ばれなければこんな運命は訪れなかったのだと分かっていても、君以外の人間と結ばれる運命を想像もできずにいる。
 だから結局、僕のこの人生の結末は、自業自得なのかも知れない。

 もう、最期の時が来る。目隠し布を巻かれ、冷え冷えとした世界の姿さえ見えなくなる。
 ――痛くないといいな。僕も。そして、君の時も……。
 処刑場に身を横たえ、僕は閉ざされた視界の中で、そっと君の面影を偲んだ。

 

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明治時代・怪盗ファンタジー小説(途中・東京名所デート編)
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JUGEMテーマ:時代小説

 

以前ちょこっと書いた明治時代の怪盗モノ小説の抜粋です。

・通しでちゃんとした形で出すには、かなりの推敲&練り直しが必要なため、とりあえず途中途中の何シーンかだけちょこちょこ出しています。

(そのため、ビミョウに段落と段落がつながっていなかったりします。)

 

・旭は普段は男装していて対外的には「御曹司(男)」ということになっていますが、正真正銘女の子です。
 


 

 ちょうど先日旭と出会った辺りに差し掛かった所で、あまりにも先日と似通った光景を目にしてしまい、青流は思わずその場にへたり込みたい衝動に襲われた。
 あまりにも見覚えのあるその人影は、だが先日のことで学んだのか、今日は塀の上から下ろした縄梯子を伝い器用に地面に下りてくる。このまま見なかった振りをしたいが、そうもいかない。何故こんな場面にばかり出くわしてしまうのか。
「ん?青流じゃないか。もしかして僕に会いに来てくれたのか?」
 その人影――旭は青流の姿に気づくなり目を輝かせ、弾むような足取りで近寄ってくる。
「いや、あんたじゃなくて師匠に用があって来たんだが……つーか、あんたはまた何をやってんだ」
「何って、見ての通りだが。屋敷を抜け出して東京の名所でも見物に行こうかと思ってな。それより、霧峰なら不在だ。今日は夕暮れになるまで帰って来ないと思うぞ」
 平然と返された答えに青流はしばし言葉を失った。
「名所見物って……あんた、今まで屋敷の外へ出たことなんて無いんだろう?」
「そうだが、人の話で東京十五区内のことはいろいろ聞いているし、名所に関する書物もだいぶ読んだ。だからまぁ、何とかなるだろう」
「何とかって……!あんたって人はどうしてそう、頭はいいくせに適当なんだ!?」
「どうしてと言うなら、理詰めで考えてばかりでは人生面白くないからだろう」
「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくてな……」
 反論しようとはするものの、何と言っていいのか思いつかず、青流は焦ったように頭をがしがし掻きむしった。
「ああ、もう、とにかく!一人でふらふら屋敷の外へ出て行くんじゃねぇよ!師匠も屋敷の人達も皆心配すんだろ!?」
「大丈夫。書き置きは残してきたし、暗くなる前に帰って来る」
「そういう問題じゃねぇ!」
 思わず怒鳴りつけると、旭はにわかに顔を曇らせた。
「……我侭だということは分かっている。だが、帝都が今、こんなにも目まぐるしく変わっているというのに、僕だけが外のことを何も知らず、屋敷の内に閉じ込められたまま生きていくなど耐えられない」
 青流の視線の先、固く握り締められた旭の小さな拳が震えている。
 このまま旭を行かせたら……そのことが霧峰に知られたらどんな目に遭わされるか分からない。だがこんな言葉を聞かされて、それでも冷厳に徹することなど出来ない。青流は諦めたように吐息をついた。
「……分かった。ここで会ったのも縁だろう。その東京見物とやらにつき合ってやる。だから世間知らずがほいほい一人で出歩くんじゃねぇよ」
 
「……で、何処へ行くつもりなんだ?あんた」
 問いに、旭は考え込むように視線を宙へ飛ばし、指を折りながら名所の名を挙げていく。
「まずは辰ノ口の勧工場だろう。ついでに建設中の鹿鳴館も見ていきたいし、湯島の書籍館にも行ってみたいな。それと、先月の二十日上野に博物館と動物園が開業しただろう。そこへも行ってみたいし、後はできれば不忍池の弁天様と、泉岳寺の赤穂義士の墓所と、新橋停車場と……」
「……あんた、それ、一日で全て回る気か?」
「ああ。無理か?」
 きょとんとした顔で問い返され、青流は脱力した。
「外側だけ見てさっさと次へ行くなら何とかなるかも知れんが、あんた、どうせ中も見て回るつもりだろう?だったらもう少し絞れ。でないと夜までにここに帰って来るなんて到底無理だ」
「まあ、よく考えてみればそれもそうだな。うーむ、何処にしようか……」
 
 東京府勧工場――通称『辰ノ口の勧工場』は皇居の東、かつての大名屋敷跡がそっくりそのまま荒地となって放置された丸の内に建っている。
 洋風の建物の中には長い中央通路を挟んで売り場が並ぶ。そこはいわば後の百貨店の草分け的存在。当時は珍しい大型商業施設であり、その人気はなかなかのものだった。
 入り口で渡された竹の皮の草履に履き替え、二人は買い物客の人ごみの中へ足を踏み出す。
 見たことのない品々に目を奪われ気の向くままに売り場から売り場へふらふら渡り歩く旭と、二人並んで名所を歩くことに言いようの無い気恥ずかしさを覚えてまともに旭の方を見ることすらできない青流。二人は当然のごとく、入場して数分後にはあっさりとはぐれていた。
「あ、旭ーっ!旭ーっ!何処にいるんだっ!?」
 顔面蒼白で旭の名を呼びながら、青流は買い物客でごった返す中央通路を人ごみを掻き分けて歩き回る。
(や、やべぇ!お屋敷を連れ出した挙句こんな雑踏の中で見失ったなんてことになったら、師匠に殺されるっ!いや、それ以前に世間知らずな旭が親切顔で近づいてくる人攫いにあっさり騙されてかどわかされて、どこぞへ売っ払われたりなんかしたら……!)
 その想像に、ますます顔から血の気が引いた。
「あ、あ、あ、旭ーっ!」
「ああ、青流。ここだ、ここ」
 悲鳴じみた呼び声に、あまりにも呑気な声が返る。振り向くと休憩所の赤い毛氈を敷いた床机に腰掛け、のんびりとしる粉をすすっている旭の姿があった。しかもその横には既に空になったしる粉の椀が二つ重ねて置かれている。
「な、な、何やってんだ!あんたはっ!」
「ここでしる粉を食べながら青流を待っていた。はぐれた時は動かずにじっとしているのが鉄則と言うだろう?」
「だからって……人が必死で探してたってのにあんたは一人でしる粉食ってたのかよ!?」
「すまなかった。そろそろ昼時だし、腹が減ってしまってな。青流も食べて行くか?しる粉でも鮨でも奢るぞ」

 早めの昼食を終え、勧工場を出る。
 空へ向かって大きく伸びをする旭の横顔を眺めながら、青流はふと思い出した。
(そう言えば俺、こいつのこと嫌ってたんじゃなかったっけ)
 あの夜に出会うまで、まさか自分と旭がこんな風に一緒に出歩くことになるなど想像したこともなかった。出会うまでは、同じ空気も吸いたくないというくらいに毛嫌いしていたはずなのに。
 それまで抱いていた嫉妬も劣等感も何もかも、あの夜の旭の姿を見た瞬間に全て吹き飛ばされて消えてしまった。あの夜の、月光に照らされ金色に輝く旭の姿を見た瞬間から……。
 見つめる視線の先、陽に透けた旭の髪が一瞬金色に光って見えて、青流はどきりと心臓を震わせた。あの夜の旭には、あの日以来会っていない。
 今こうして目に映る黒髪黒目の旭の姿も、青流の胸を揺さぶる。だがあの夜の旭は今の姿の比でないほど、格別に美しかった。
 金色に輝く髪、碧に光る瞳が、まるで夢の中の情景のようで。声を立てずに泣いていた静かな横顔がひどく儚げで……。
 そこまで思い出して、青流はあの日抱いた疑問が未だ解かれていないことにようやく気づいた。あの夜、旭は何故泣いていたのだろう。
「お前、なんで泣いてたんだ」
 気がつくと声に出ていた。旭は一瞬無言で青流の顔を見つめ返した後、深々と溜息をついた。
「唐突に何を訊くかと思ったら……。やはりあの夜、見ていたのか。趣味が悪いな」
「あ、いや、すまん。けど、べつに覗こうとか思ってたわけじゃ……」
「まぁ、そのことは構わないが。泣いていた理由、か。改めて訊かれると難しいな……と言うより、恥ずかしい、かな」
「恥ずかしいって、何でだ?」
「あの時は、ただ気づいたら泣いていたんだ。一人で月を見ていたらいろいろと物思いが止まらなくてな。女々しいだろう?」
「いや、べつにそんなことは思わねぇが……。何か、泣きたくなるような悩みでもあるのかよ、あんた」
 あの静かな泣き顔の理由を、どうしても解き明かしたくて青流は尚も問いを重ねる。旭は青流の顔を真っ直ぐ見つめ、ぽつりと答えを返した。
「僕は本来なら月に在るべきものだから、いずれは月へと還らねばならない宿命なんだ」
 青流は一瞬ぽかんと旭の顔を見つめた後、からかわれたことに気づき眉を吊り上げた。
「あんた、俺が『竹取物語』も知らないと思ってんのかよ」
 怒ったような声で問うと、旭は何も答えずにただ曖昧な顔で微笑んだ。その笑顔に何かを感じ、何を問いたいのかもよく分からぬまま口を開こうとしたその時だった。
 どん、と。空が破裂したかと思うような轟音が辺りに響き渡った。
「わっ!な、何だ?」
 さすがにうろたえて、旭が天を仰ぐ。
「ああ。『ドン』だ。正午を報せる空砲だよ。こんな近くで聞くのは初めてか?」
「そうか。正午の号砲か。もうそんな時刻なんだな」
 
「もう屋敷に戻るか?」
「……そうだな。書き置きを残してきたとは言え、家中の者達が僕を探さぬはずがないし、そろそろ戻るべきなのかもしれないな……」
 そうは言うものの、旭はなかなか動き出さない。訝しく思ってその横顔を見つめていると、旭は唐突にぱっと振り向いた。
「最後にどうしても一つだけ、寄りたい場所があるんだが。いいか?」
「ま、ここまでつき合ったんだから構わねぇけど。どこに行きたいんだ?」
「銀座だ」
 告げられた地名に青流は一瞬息を止めた後、何かを堪えるような顔で拳を握り締めた。

「はー……。話に聞いていた通り、まるで異国のような街並みだな」
 横一列に並んだ円柱の上にバルコニーの設けられた、まるで西洋の街並みをそっくりそのまま持って来たかのような洋風建築の群れ。歩道の柳並木の下を、旭は物珍しげに建物を見上げながら歩いていく。その数歩後を、青流はなるべく建物を目に入れないように俯きがちに歩いていた。
「煉瓦街と言うから赤いのかと思っていたが、実際は違うんだな。表面に塗ってあるのは何だ?漆喰か?」
 青流は旭の問いを聞かなかった振りでやり過ごした。夜、仕事の都合上どうしても通らねばならない時以外には極力近づかぬようにしている場所だ。昼の日の光の下で改めてこの街を見るのは初めてのことだった。よくできた模型のように整然と並んだ美しい街並みは記憶の中にあるかつてのこの町とはあまりに違い過ぎていて、自分の家がどの辺りにあったのかさえ、今の青流には分からない。
「青流、木村屋がどの辺りにあるか知らないか?銀座に来たからにはやはり名物の餡ぱんを買って行きたいのだが」
 無邪気な顔で振り返り、青流の様子がおかしいことに気づいた旭はすぐに笑みを引っ込め、気遣わしげに問う。
「どうした?青流。先刻から口数が少ないが」
「……嫌いなんだよ。銀座」
 昏い声で呟かれた一言に、旭は目を見開く。
「何故だ?お前、こういう目新しいものは好きなんじゃないのか?」
「まあ、目新しいのは好きだけどさ。でも銀座は昔とあまりにも違い過ぎてて何か気に食わねぇ」
「昔?煉瓦街ができる前のことか?」
「……銀座の大火の前だよ。俺、銀座に住んでたはずなんだ」
 返ってきた答えに、旭は小さく息を呑んだ。
「家は大火の時に焼けた。父ちゃんと母ちゃんもその時に」
「……そうか」
「母ちゃん、商売道具を持ち出そうとしてるうちに逃げ遅れたみたいでさ。父ちゃんは、その母ちゃんを助けようと火ん中飛び込んでって……そのまんま帰って来なかった」
 何故こんな話をしているのか分からなかった。旭は黙って話を聞いている。青流は吐き出すようにして言葉を続けた。
「父ちゃんと母ちゃんの命と、あれだけ沢山の家を焼いて……それなのにこの街は平然と立ち直って、何もかも忘れたみたいにこんな綺麗な街になって……。まるで、大火のおかげで今のこの街があるみたいで……まるで、あの大火がこの街が生まれ変わるための運命だったみたいで。だから、嫌いなんだよ」
 ふいに、ぽんぽんと頭を優しく叩かれた。顔を上げると、旭が神妙な顔で青流の頭に手を伸ばしていた。慰めるように、柔らかく、そっと何度も髪に触れてくる。その優しい手の感触にふいに記憶の中の別の手の感触が重なって、青流は愕然と目を見開いた。大きさはまるで違うのに不思議と似ている気のするそれは、あの日炎の中に失われたもの。あの日以来、こんな風に誰かに優しく頭を叩かれたことなど一度も無かった。一度も無かったということさえ、この瞬間まで青流は気づいていなかった……。
 半ば呆然とその感触を受け止めながら、青流は心のどこかで「ああ、そうか」と納得した。誰かに、こんな風に優しくしてもらいたかったのかもしれない。家が焼けて一人ぼっちになって以来ずっと、優しさを求められるような状況にはなくて。けれど、それでも心の奥底では、常に求めていたのかもしれない。優しさを。自分に触れてくれる、誰かの手のぬくもりを。
 止むことなく触れ続ける手のひらの優しい感触に、じわりと目頭が熱くなった。だが、そのじわりとした熱いものが涙に変わる前に、青流は大きく息を吸い込み、吹っ切るように顔を上げる。
「そんな気ぃ遣うなって。もう今更どうしようもない昔のことなんだからさ。それより、木村屋に行きたいんだったな?行ったことは無ぇが、確か四丁目にあるって聞いたぞ」
 殊更明るい声を出し、歩き出す。銀座へ行きたいと告げられた時から胸に巣食っていた痛みは、いつの間にか薄れていた。目に映る街並みも、今までとは少し違って見える。
 こんな些細なことで気持ちの変わってしまう自分が、青流にはひどく不思議に思えた。だがそれは決して不快なものではなく、胸をじんわり温かくするような、どこか心地良さを伴った感覚。それを噛みしめるように青流はもう一度、大きく息を吸い込んだ。

 旭とその日の思い出と餡ぱんのことで頭がいっぱいになっていた青流はまるで思い出しもしなかった。自分がそもそも何のために今日雪ヶ崎邸まで赴いたのか。何を伝えようと思っていたのか。
 そのことに青流が気づいたのは、翌日の昼になってからだった。
 大慌てで再び雪ヶ崎邸に駆けつけ、だが塀の外に旭の姿も霧峰の姿も見つけられず結局その日はねぐらの一つにしている廃寺に戻る。が、扉を開くなり先客の気配に気づき身を強張らせた。
「誰だッ!?」
「……私だ。随分遅かったのだな。待ちくたびれたぞ」
「し、師匠っ!?」
 床に腰を下ろしていた霧峰はゆっくりと立ち上がり歩み寄ると、青流の頭を軽く小突いた。
「師匠と呼ぶなと何度も言ったはずだが?」
「そ、そんなことより!俺、師匠に言わなきゃならないことが……」
「ほぉう?私もお前に訊きたいことが山のようにあるのだが」
 その、身を震わせるような低い声に、初めて青流は霧峰の機嫌の悪さに気づいた。
「師……じゃない。霧峰さん。あんた、何をそんなに怒って……」
「ほう?分からないのか?身に覚えが無いとでも?昨日、お前誰と何処へ行っていた?」
 その問いに、青流は一瞬で硬直した。
「し、師匠……。昨日のこと……知って……」
「……やはりお前だったか。旭様は一人で行ったと言い張ってらっしゃったが……あの方がお一人で麻布区の外へなど行けるはずがないからな」
 深々と溜息をつかれ、青流は鎌をかけられていたことを悟る。
「な……っ!師匠、俺を引っ掛けたのかよ!?」
「こんなものに引っ掛かるお前が悪い。もう少し用心して喋るようにしておかないと、もし警察に捕まりでもした時に困るぞ」
 気色ばんだ青流を諌めるように殊更厳しい声で言い、霧峰は一旦言葉を切って鋭い眼差しを向けてきた。
「それにしても、どういうつもりだ青流。旭様を外へ連れ出すなど。……あの方がお前に頼んだのだということは察しがつく。だが、お前は知っていたはずだな?私があの方を外へ出さないようにしていたことを」
「だって……可哀想じゃねぇか。ずっと屋敷の中に閉じ込めっ放しなんてよ」
「仕方がないではないか。そうしていなければあの方自身が危険なのだから」
「は?危険?何でだ?」
 霧峰はその問いに答えなかった。代わりに再び溜息をつき、何かを考え込むように目を閉じて片手で眼鏡を押し上げる。
「……全く、旭様が万一屋敷を抜け出しでもしたら事だと思い見張らせはしたが……やはりお前に屋敷の見張りなど頼むのではなかった。お前と旭様を会わせたくなどなかったのに」
 以前も聞いた台詞を再び聞かされ、忘れていたはずの劣等感が再び青流の中で目を覚ました。
「ああ。そうだよな。旭は俺なんかと違って綺麗だし頭も良いし優しいもんな。師匠が俺なんかより旭を大事にするのは当然だよな。俺みたいなのを近づけたくもないって思うのも当たり前だよな」
「……そういうことではない。お前は何故そう己を卑下する。だいたい私も元はお前と同じような身の上だぞ?」
「でも、今じゃ立派なお医者じゃねぇか。俺なんか……」
「そうやって己を卑下したところで誰も慰めてはくれんぞ」
 厳しいままの声で発せられたその言葉に、青流はくっと唇を噛んだ。
「……んなこと分かってるよ」
「だいたい旭様と比べてどうする。お前、私と旭様を同列に並べて比べられるか?」
「それは……」
 考えようとして、青流はすぐに首を横に振った。比べられるわけがない。霧峰と旭とではあまりにも種類が違い過ぎる。自分との関係も、覚える感情も。
「……分かっただろう。お前と旭様とではあまりにも違い過ぎる。……全く、少し相手の立場になって考えてみれば分かることをそんなにいちいち悩むな。時間の無駄だ」
 呆れたように溜息をつかれ、青流は口を尖らせた。
「それは分かったけどよ。だったら何で旭に近づくなって言うんだ?」
 問いに、霧峰はしばし沈黙した。答えたくなさそうに、探るように青流の顔を見、青流が話を変える気がないのを見てとると、諦めたようにやっと口を開いた。
「……くだらん嫉妬だ。出会ってから十年近く、手塩にかけてお育てして、やっとここまでの信頼を得られたというのに、突然現れたお前などにあっさりと懐かれて嬉しいとでも思うか?」
 青流に顔を見られたくないように外方を向き、ぼそりと呟く。その様に、知らず青流の頬が緩んだ。
「何だ……。そういうことか。……ははは。そっか。妬いてたのか、師匠」
「嗤うな。それより、お前の話したかったことというのは何だ?」
 不機嫌な声で問われて、青流はやっと己が話すべきことを思い出した。
 

 

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明治時代・怪盗ファンタジー小説(途中部分のみ)
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JUGEMテーマ:時代小説

 

 満月の下での出会いを果たしたあの日から、青流の頭の中には旭の面影がしっかり棲みついてしまった。
 あの日以来、何をしていてもふとした瞬間に旭の顔が脳裏を過ぎる。
 それは夜に見た金髪碧眼の少女の姿だったり、昼に見た少女か少年か判断のつかない黒目黒髪の姿だったり、その時々で姿が違う。だがそのどちらの姿も、思い浮かぶたびに青流の胸をひどく揺らし、脈拍を速めた。
 青流は今日も道を歩きながらぼけっとあの日の旭の笑顔を何度も何度も頭の中に蘇らせていた。
 ふと、やけに視線を感じると思って辺りを見渡せば、青流はいつの間にか雪ヶ崎の屋敷の傍近くを歩いていた。資産家の屋敷ばかりが立ち並ぶこの辺りではボロ布をつなぎ合せたような青流の格好はひどく目につく。道行く人々に不審の目で見られるのも当然だった。
(……何でこんな所に来てんだ、俺。用も無ぇのに……)
 自嘲するような笑みを浮かべ踵を返そうとしたその時、すぐ近くから聞き覚えのある声が降ってきた。
「青流か?こんな所で何をしているんだ」
 顔を上げてその姿をみとめ、青流は「それはこっちの台詞だ」と思った。
「あんたの方こそ何やってんだよ?」
 旭は屋敷の塀に両手をかけ、ぶら下がっていた。
「いや。君が乗り越えて来たくらいだから僕にもできないものかと試してみたんだが、よじ登ったはいいものの降りられなくてな。助けてくれないか?」
 旭はひどく呑気な声で助けを求めてくる。
「……本当に何やってんだよ」
 青流は呆れた顔で旭に手を貸した。
「有難う。助かった」
「あんた、頭いいかと思ってたけど案外抜けてるんだな」
「ああ。僕の頭は必要な時にだけ働かせて特に必要の無い時は休めているんだ。効率のいい使い方をしていると言ってくれ」
「いや、全然効率良くねぇだろ、それ。現にさっきは危ない目に遭ってたじゃねぇか」
「はは。それもそうだな」
 あっさり認めて旭は笑う。
「ところで君がここにいるということは、うちに何か用があるのか?」
 問われ、青流は顔を引き攣らせた。まさか、旭のことをぼんやり考えているうちにいつの間にかここへ来ていたなどという本当のことを、本人に言えるはずもない。
「べ、べつに。用なんか無ぇよ!たまたま通りかかっただけだ。たまたま!」
「そうか。たまたま青流が通りかかって助かった。流石にこの高さから飛び降りれば足を痛くしただろうからな」
 旭は青流の言動に何の疑問も抱いていないように邪気の無い顔で笑った。
「ところで、用が無いなら今は暇か?助けられた礼に茶でも御馳走したいのだが」
「いや。いいって、そんなの。俺が屋敷にいると師匠とかいろいろうるさいし」
「大丈夫。霧峰もおじい様も今は留守にしているから」
 笑顔で手を引かれ、青流はその手のひらの柔らかさに、思わずびくりとしてそれを振り払った。
「何だ?うちに来るのはそんなに嫌か?」
「いや、違……、その……っ」
 何にうろたえているのかも分からぬまま、真っ赤な顔で首を振る。
「違う?なら、来てくれるんだな?良かった。ちょうど暇をしていたところだ。しばらくつき合ってくれ」
「うっ、いや、その……」
 青流はしばし逡巡した。
 勝手に屋敷に上がったことを霧峰に知られたら絶対にいい顔はされないだろう。それどころか表面上は平素通りに振る舞いながら、青流に与える情報にさらりと嘘を紛れ込ませたりして嫌がらせしてくる可能性がある。
 それも任務を失敗するほどの重大な偽りではなく、任務は果たせるが一歩間違えば逃走に失敗し捕縛されてしまうような、心臓に悪い偽情報。
 そして後に青流がそのことを追及すれば、うっかり間違えて違う情報を渡してしまった、などと平然と嘯くのだ。霧峰はそういう男だ。
 断ろうと思い顔を上げると、旭はひどく期待の籠もった眼差しで青流を見つめていた。気のせいか、その瞳はきらきら輝いているようにさえ見える。
「あの……な」
「大丈夫。霧峰やおじい様には内緒にしておくよう屋敷の者たちには口止めする」
 先回りして言われ、青流は断る口実を失ってしまった。
「…………まあ、いいか」
 最早逡巡するのにも疲れ果て、結局青流は招きに応じることにした。途端、旭が顔を輝かせる。その顔に、青流はただ困ったように頭を掻いた。
 
「旭様!?いつの間にお外へいらしてたんですか!?というか、その子供は何です!?そんな汚らしい子供を勝手に屋敷に入れたりして……旦那様に叱られますよ!?」
 邸内に足を踏み入れると、すぐに一人の青年が走り寄って来た。歳の頃二十代前半。おそらくは雪ヶ崎家の書生と思しき袴姿の青年。この前は見なかった顔だ。
「こら利三郎。僕の客人に対して失礼なことを言うな。だいたい、外見で人を判断するなど器の小さい男のすることだぞ」
「器の小さい男で構いませんとも。もし旭様に万一のことでもあれば私どもが旦那様に殺されます」
「いくらおじい様でもそこまでは…………やらないと思うが」
 後半、ひどく自信無さげに声を小さくして、旭は考え込むように下を向いてしまった。
「だが、まあ安心しろ。青流は僕に危害を加えることはないから」
「……本当ですか?」
「ああ。だいたい、僕と背丈もそう変わらないような少年に何ができると思うんだ?そんなにいちいち案じるな」
 笑いながら利三郎の肩を叩き、そのまま行き過ぎようとして、旭はふと思い出したように振り返る。
「ああ、そうだ。縫に茶を運ぶよう言っておいてくれ。それと、青流が今日ここへ来たことはおじい様と霧峰には言うなよ?さもないと、あのことをおじい様のお耳に入れるからな」
 旭がそれを口にした途端、利三郎は顔色を変えた。
「あ、あのこと……ですか?」
「ああ。だから、言うなよ?」
 にこりと笑みさえ浮かべて釘を刺し、青流の袖を引いて歩き出す。その後も廊下で出会う者出会う者、全てに同様の口封じをしていく。旭の私室にたどり着く頃には青流はすっかり呆れ果てていた。
「……あんた、そうやって屋敷中の人間の弱み全て握ってんじゃねぇだろうな?」
「こんな屋敷の中に閉じ込められていると他にすることも無いからな。だがちゃんと、知られると本人が気に病む類の弱みには目を瞑っているぞ。ああやって時々、ほとんど罪の無いような些細な弱みを、融通を利かせてもらうのに利用しているくらいで」
 言いながら、旭は扉を閉める。室内に二人きりになると、旭は改まって青流に向き直り、深々と頭を下げた。
「先刻はすまなかった。家中の者が不快な思いをさせた」
 今までされたこともないほどの丁寧な謝罪に青流の方が慌てる。
「ちょ……っ、いいって!頭なんか下げるなよ!それってアレだろ?さっきの『汚らしい子供』とかいうアレだろ?あんなの、俺たちみたいな育ちの良くねぇ人間には慣れっこだから!」
「そうか。慣れているのか。……苦労しているのだな」
 気にしないで欲しくて言ったのに旭は再び表情を沈ませる。青流は焦って無理矢理話題を変えようと、わざとらしく声を上げながら室内をぐるりと見渡した。
「そ、それにしてもさすが雪ヶ崎家だなー。見たことの無いもんがいっぱいだ」
 御曹子の私室らしく、室内の調度品はどれも豪華なものばかりだった。日本家屋の中であれば浮いてしまいそうな繊細な彫刻を施した洋風家具。飾棚の上に置かれた、青流が今まで目にしたこともないような珍しい品の数々。見渡しているうちに、青流は本気で目を奪われ興奮してきた。
「……つーか何だ、コレ?すげぇ!何か分かんねぇけど何かすげぇ!どうなってんだ、これ。何する物なんだ!?」
 舶来品の脇棚の上に無造作に置かれた不思議な形をした装置を、青流は食い入るように覗き込んだ。
「……何か分からないのにそこまで感心できる方がむしろ凄いな。それは幻燈機だ。どこかの師範学校に納められる予定で作られたものを、おじい様が倍以上の金を出して先取り……あ、いや、譲ってもらってきたらしい」
 仕方の無いおじい様だ、とでも言うように旭はこめかみを指で押さえ吐息した。
「ゲントウキ?」
「幻燈板に描かれた絵を光を使って壁や布に映し出す装置だ。夜の闇の中や、黒い布で囲って暗くした部屋の中でないと見られないから今は見せてあげられないがな」
「はー……。何だかよく分からんが、すごいものなんだな」
「青流はそういうカラクリ仕掛けの物が好きなのか?」
「いや、べつにそういうわけじゃなくてさ。目新しい物なら割と何でも好きなんだけどよ」 
 言いながら、青流は尚もまじまじと幻燈機を眺める。感心したように何度も溜息をついて眺めながらも、手で触れることはせず、ただ噛り付くように間近に顔を寄せて見入る青流に、旭は笑いながら声をかけた。
「べつに触れても構わないんだぞ」
「いや。いいよ。壊したら困るし」
(こんな高そうなカラクリに俺みたいなのが手を触れていいわけがない……)
 本来なら自分は、この屋敷の中に足を踏み入れることさえ許されない立場なのだから……。
 自嘲するようにそんなことを思いながら、青流はその装置から身を離した。
「しかし、こんな珍しい物をほいほい買い与えるくらいだから、あんた、本当に可愛がられてるんだな」
「いや……。おじい様達は僕を屋敷の中だけに閉じ込めておきたいらしいからな。屋敷の中で楽しめる娯楽を与えて、僕が外に興味を持つことのないように仕向ける魂胆なのだろう」
「閉じ込めておきたいって何でだ?お前が女だと分かるとマズいからか?それともお前が月織部とかいう一族だからか?」
「女ではないと言っているだろうが。……それより、霧峰はお前に月織部のことまで教えているのだな」
 やれやれとでも言いたげな旭の顔に青流は己の失言に気づき冷や汗をかいた。
 霧峰の教えてくれた秘密は、おそらく本来は雪ヶ崎の『駒』である青流にさえ明かしてはならぬ超極秘事項だったはずだ。だから青流を送るという名目で屋敷の外へ出てからこっそり教えてくれたのだろうに。
「あ、あのな、聞いたのはこの前あんたに会った日が初めてだぞ。他言は絶対しないし!」
「べつに責めているわけではない。世に広めたい類のものでないことは確かだが、他言したところで大概の人間には一笑に付されて終わりだろうしな。むしろ、あの時はすまなかったな。君の言葉を夢幻で片付けようとして。……しかし夢幻と思ってくれていた方が君のためではあったんだ。話を聞いてしまった以上忘れろと言っても無理な話だろうが……あまり深入りはしない方がいい。いくら青流が霧峰の身内とは言え、これは命に関わることだからな」
「いや、無理だろ。深入りするなも何も、俺、もう頭の天辺までずっぽりと雪ヶ崎に埋もれてるって自覚があるんだが」
 言ってしまってから、青流はハッと口を押さえた。雪ヶ崎の繁栄の裏に青流の盗賊行為があるなど、旭に知られてはならない。
 だが旭は眉一つ動かさず、青流の言葉など聞いていなかったかのように話を続ける。
「雪ヶ崎と月織部の争いに巻き込まれたら命が無い、という意味で言ったのだが……もしかしてここまでは知らなかったか?」
 旭は青流の顔をじっと見つめながら探るように言葉を重ね、青流が何も知らないという顔をしているのに気づくと「しまった」というように顔を強張らせた。
「……何だ、それ。聞いてねぇぞ、そんなこと」
「深入りするなとさっき言ったばかりだろう?知らない方が身のためだ」
「深入りするなも何も、師匠が雪ヶ崎に関わってる限り、何かあったら絶対に俺も巻き込まれる!それだったら自分の身に及ぶかもしれない危険のことくらいは知っておくべきだろう」
「……それもそうだな」
 旭はこめかみを押さえて吐息した。わずかの間を置き、諦めたように口を開く。
「月織部がどういう一族なのかは霧峰から聞いているな?」
「ああ。月の光を糸にして、その糸で何でも織れるっていう妙な力を持った一族なんだろ?」
「妙って……」
 旭は一瞬むっとしたように眉を上げ何か言いかけたが、すぐに諦めたように椅子に深く身を沈めた。
「まあ、いいが。月織部一族は帝都から見て東北に位置する小国で、国主・花遠家の庇護の下、穏かに暮らしてきた。その庇護を失わぬよう、国主一族と縁戚関係を結び、時にはその力を国のために揮い、表向きは古くから国の中枢にあった名家として、な。そして、雪ヶ崎も元はその国で代々家老職を務めてきた家だ。月織部とは代々首席家老を争う家同士で仲はあまり良くなかったのだが……ある事件を契機に両家の溝が決定的なものになってしまった」
「ある事件……?」
「清道……私の父が、母を半ば攫うようにして駆落ちしたんだ。母は月織部の姫とでも言うべき特別な地位にあった人で、その位を降りるまでは嫁ぐことも許されぬ身だった。そして父は月織部家の天敵とも言うべき雪ヶ崎家の嫡男。いくら二人が想い合っていてもその立場上、結ばれることはどうしても不可能だった。だから父は母を連れて国を出たのだが……。月織部はそれを、雪ヶ崎家が月織部の姫をかどわかしたのだと受け止めた。そして……」
「そして?」
 続きを促したが、旭はその先は言葉を濁した。
「……そして、いろいろあって……当時家老の地位にあったおじい様は職を辞し、国にもいられなくなった。そうして東京へ出て来て……結果的には、奥羽諸国と政府との戦にも巻き込まれずに済み、それどころか運良く一代で財を成すことができ、今のような大きな家になれた。だが……十四年近く経った今でも月織部の雪ヶ崎に対する恨みは晴れていないんだ」
「恨みが晴れてないって……まさか、報復でも企んでるって言うのかよ?」
「……確証は無いが、そういう動きがあってもおかしくはないな。或いは報復などではなく、もっと別のことを考えているか……」
「別のこと?」
 詳しく訊こうとしたその矢先、青流の問いを遮るように扉を叩く音が響いた。
「失礼致します。旭様、お茶をお持ちしました」
 茶器の載った盆を持ち入室して来たのは、あの夜に見た女性だった。彼女は青流の顔を見るとにこりと笑う。
「まあ、旭様。そちらの方はこの間の盗人さんですね?」
「ああ。青流だ。青流、こちらは縫。古くから雪ヶ崎家に仕えてくれている」
「ようございましたね、旭様。同じ年頃のご友人ができて」
 茶器と、茶菓子の盛られた小皿を円卓に並べながら、縫は旭に優しく微笑みかける。
「友人……か。そうなれれば良いのだがな……」
 独り言のような静かな声で言いながら、旭は答えを求めるように青流の顔を見た。
「いや、友人って……。俺みたいな馬の骨があんたみたいなお嬢……あ、いや、お坊ちゃんと友人てのはおかしいだろう」
「友誼を結ぶのに生まれ育ちなど関わりが無いだろう?大切なのはお互いの気持ちだけだと思うが」
 はっきりした口調で言い切られ、青流は思わず感情のままに「なら、友人になっても良いぜ」と口走りそうになった。が、寸前で頭をかすめたものが、青流の口を止める。
 脳裏を過ぎったのは、帝都の闇に潜む己の姿。ただでさえ暗い夜の帝都を、月明かりを避け影から影へと飛び渡る、闇に染まりきった己の姿だった。
 改めて向かいに座る旭の姿を見る。丈の高い仏蘭西窓から差し込む日射しを浴びて、その姿は明るい光に包まれて見える。改めて己と旭の住む世界の違いを思い、青流は円卓の下で固く拳を握り締めた。
「それでも……俺は、あんたの友人にゃなれねぇよ」
「……そうか」
 旭はひどく静かな声でそれだけを言うと、視線を手元に落としてしまう。縫は気遣うように旭を見ていたが、結局何も言わずに一礼して部屋を出て行った。
 

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異国へ嫁ぐ王女と、その教育係 〜A Tribute to Catarina de Braganca〜
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JUGEMテーマ:恋愛小説

 

 貴方を“先生”と呼べるのも、きっと今日が最後でしょう。
 私は間も無く、海の向こうの遠い国へと嫁ぐ。
 初めから分かっていたことだというのに、その事実を未だに受け止めきれずにいる私がいる。

 思えば私の運命は、とても数奇なものだと思う。
 本来ならば旧王家の血を引いてはいても、一介の公爵令嬢であったはずなのに、父が革命により新王に即位したばかりに、私は齢2才にしてこの国の王女となった。

 きっと誰もが羨むであろうこの立場は、けれど同時に、祖国を守る義務を負う、とても重いものでもあった。
 物心ついた時には既に、国を守るための同盟の証として、海を隔てた異国の王太子との結婚が定められていた。そして、次期王妃としての教育を叩き込まれる日々……。
 けれど、そんな運命が、私と貴方を出会わせてくれた。

 思えば私、無神経な子どもだったと思うわ。会ったばかりの貴方に、
「あなた、本当に私の先生なの?私、先生って、もっとお年を召した真っ白な髪のおじいさんだと思っていたのに」
だなんて……。
 貴方が思っていたよりずっと若かったものだから、びっくりして、思わず言ってしまったの。
 ムッとさせてしまっていたなら、ごめんなさい。
 でも貴方は不快な顔なんて一度も見せずに、いつでも私に優しくしてくれた。

 見も知らぬ異国の言葉や文化を学ぶことを嫌がる私に、貴方は楽しい話や美しい話をたくさん聞かせてくれたわね。
 英雄王と円卓の騎士の伝説に、妖精や幻獣の登場するお伽話(フェアリーテイル)、今ではもう何のために造られたのかも分からない不思議な環状列柱巨石の話……。
 私が嫁ぐ彼の国が、恐ろしい所などではなく、とても素敵な所なのだと、私に教えてくれた。
 貴方のおかげで、まだ一度も行ったことのない彼の国のことを、今では身近に感じられるほどよ。

 十代で嫁ぐことが当たり前の今の世の中で、きっと私も十代のうら若き乙女として嫁いでいくものと思っていた。
 けれど私に用意された運命は、そんな単純で当たり前なものでは決してなかった。

 私が齢11になったその年、嫁ぎ先となるべき彼の国では、政変により王が処刑され、事実上の新王となった王太子も、国を追われて他国へ身を寄せることとなった。
 それから実に十年以上、私の縁談は宙に浮いたままとなってしまった。

 いつしか私は幼い少女から大人の女へと変わっていた。
 けれど、恋ができる年齢になったところで、私には他の令嬢たちのように宮廷での恋のさや当てを楽しむことなど許されない。どう転ぶかも分からない婚約に縛られたまま、律儀に身を慎むしかない日々……。
『誰からも手を触れられずに朽ちていくだけの花』『お可哀想なお姫様』――宮廷の陰で囁かれるそんな憐れみの声は、耳を塞ぎたくても聞こえてきた。
 哀しくて、寂しくて、いたたまれなくて、恥ずかしくて……けれど、そんな感情を表に出してしまえば余計にみじめになるだけだから、せめて王女として、毅然と、堂々と、この国の淑女の模範のように振る舞っていたわ。
 ……けれど、知らず胸に溜まっていた鬱憤は、ふとしたきっかけで表へ溢れ出してしまった……。

「ねぇ、先生。私の嫁ぐべき“国”は、もうなくなってしまったのでしょう?」
 思わずそんなことを口にしてしまったのは、いつものように貴方が彼の国の歴史や文化を講義してくれている最中のことだった。
「どれだけ知識を詰め込もうと、無駄なのではなくて?だって、私はもう嫁ぐべき王家(いえ)を失ってしまったのですもの。どうせこのまま一生夫を持つこともなく、いずれは修道院にでも送られる身なのでしょう?」

 
 これまで誰にも見せてこなかった怒りや嘆きを、どうして貴方にぶつけてしまったのかしら。たぶん、貴方がこの国で、彼の国のことに深い知識を持つ数少ない人間だったせいなのでしょうけれど……。

 
「……そんなことはございません。彼の国では既に、新体制に不満を抱き、王政の復古を求める民の声が広がりつつあるとのことです。いずれは王家の復活も充分あり得ることかと……」
 どんなに彼の国のことに詳しくても、貴方に彼の国の政治を動かす力も、私の婚約をどうこうすることもできはしない。心の底では分かってたはずなのに、私は尚も、困らせるようなことを言ってしまった。
「そうかも知れませんね。でも、それは何年後のことなのですか?一年?五年?それとも十年、二十年先?その頃には私、結婚適齢期などとうに過ぎてしまっているでしょう」
 それはただのヒステリーで、八つ当たりでしかなかったのに、貴方は怒ることもなく、優しい言葉を返してくれた。
「大丈夫です。たとえ十年経とうと、二十年経とうと、貴女はきっとお美しいままですから。幾つになろうと色あせることのないそのお姿を目にすれば、ご夫君となられる国王陛下も、国民たちも、きっと歓喜の声で貴女を迎えることでしょう。貴女はそれだけの魅力を持った、愛すべき姫君です。何も心配することなどありませんよ」
 今にして思えば、王女である私に対するただのおべっかだったのかも知れない。
 でも、その言葉に私は救われた。歳を重ねることを恐れずにいられるようになった。

 
 けれど、同時に知ってしまった。
 貴方より優しい人を、私は知らない。貴方ほど私のことを考えてくれる人なんて、きっと他にはいない。
 なのに、私が運命で定められた相手は貴方ではない。
 そのことが哀しくて、胸が痛くて……気づいてしまった。私はいつの間にか、貴方に恋していたのだと。
 
 どうして人は、恋をすべき相手にちゃんと恋することができずに、違う相手に恋してしまったりするのかしら。
 それとも、運命を裏切っているのは、本当は人類の方?
 本能により恋すべき相手を偽り、人類の歴史にとって都合の良い相手に、まやかしの恋をさせようとする……。
 ……けれど、いずれにせよ、王女である私に選択肢は無い。ただ恋せよと定められた相手に嫁ぐしかない。
 せめてそれが、ただ幸せなばかりの婚姻であったなら、気持ちの整理のつけようもあったのでしょうが……。

 貴方との最後の授業は、授業と言うよりも、ただの茶飲み話になっていた。
 思いがけず長くなった貴方との師弟関係の中で、彼の国の王妃として必要な知識は、もう充分過ぎるほどに教えてもらっていたから。
 お気に入りの茶を楽しんでいると、ふと貴方は、こんな忠告をしてきた。
「彼の国では、こういった“お茶”はあまり飲まれていないようです。あちらでもお茶を召し上がりたいなら、茶葉を船便で送れるよう、手配なさっておくのがよろしいかと存じます」
 今日がきっと最後なのに、貴方はまるで変わらない。嫁いだ後の私のことまで心配してくれるのは嬉しいのだけれど、もっと他に言って欲しいことがたくさんあるのに。
「まぁ。お茶を飲まないと言うなら、彼の国では普段、何を飲んでいるのでしょう?」
 わざと大袈裟に不思議がってみせる。声は震えていないかしら。顔は曇っていないかしら。
 平気なふりをしているけれど、心の中は嵐のように揺れている。貴方とこれでお別れだなんて、考えたくない。
「あちらで飲み物(ドリンク)と言えば、専らワインやエールなどの酒類を指すそうです。あちらで飲み物をご所望の際には、くれぐれもお気をつけください。ただ『何か飲み物を(サムシング・トゥ・ドリンク)』と仰るだけでは、昼からでも酒を供されるでしょうから」
「そうですね。あちらへ嫁ぐ際には、お茶の葉も持って行くことにしましょう。何もかもが違う異国の宮廷で一人戦うことになっても、馴染んだこのお茶の香りを嗅げば、きっと心が慰められるでしょうから」
 きっと、このお茶の香りを嗅ぐたびに、思い出せる。今、ここでこうして貴方とお茶を飲んだことを。
「『戦う』……?一体、何と戦うと仰るのですか?」
「女の戦い、ですわ。先生もご存知でしょう?彼の国の伯爵夫人の噂は」
 私の嫁ぐ彼の国の王には、既に幾人もの愛人がいる。中でも伯爵夫人の称号を与えられた女性は気が強くプライドも高く、新国王夫妻の暮らすことになる宮殿に自らも住むと言って聞かないらしい。
「私の夫となる方は、私より八つ年上ですものね。私が嫁げずにいた十年余りの間に他に()好い方ができても仕方がないのかも知れません。けれど私も祖国の命運を担って嫁ぐ以上、黙ってお飾りになり下がるわけにはいきませんから」
 挑むような眼差しで、私は告げる。元より政略のための結婚、そこに愛なんて求めても空しいだけ。私はただ、私の義務を果たしに行くだけ……そう、自分に言い聞かせるように。
 けれど、そんな私を見つめる貴方の目は、とても哀しげな色をしていた。
 憐れんでくれているのかしら?それとも、気づかれてしまった?……強がっていても、本当はこの運命が悲しくて、逃げ出したいとさえ思っていることを。そんなこと、できはしないと分かっているけれど。
「I love you.」
 逃げ出したりしないから。せめて一度だけ、他愛のない“悪戯”を許して。
 貴方に言いたくて、でも言えなくて、ずっと胸に隠していた言葉――それを、貴方に教えてもらった彼の国の言葉でそっと囁く。
 貴方は息を呑んで……驚きのあまり、固まってしまった。その唇から言葉が零れるより先に、私はわざと悪戯っぽく笑ってみせる。
「彼の国で愛を告げるには、こう言えばよろしいのですよね?先生」
 ただの悪戯だと、笑顔と言葉で示してみせる。否定の言葉も、肯定の言葉も言わせない。
 どちらにせよ、叶うことのない恋だから。聞きたくないし、聞くのが恐い。私は、ずるいの。
「……まったく、貴女という御方は……」
 貴方は『してやられた』という顔をした後、何かお小言でも言おうとしたのかしら。口を開きかけ……けれど何故か、そのまま何も言わず、じっと私を見つめてきた。
 ひょっとして、気づかれてしまった……?これが、ただの悪戯なんかじゃないって。
 貴方の瞳が何かを探るように、真っ直ぐ私を見つめてくる。私は真実が暴かれるのではないかと恐れながらも、その瞳から目を逸らせなかった。
 貴方のその瞳を見られるのも、きっと今日が最後だから。
「……先生。私、貴女に教えてもらったこと、絶対に忘れません。何も知らない異国の王妃と馬鹿になんてさせません。貴女に教えてもらったこの知識を武器に、私はこの国を背負う王女として、彼の国の王妃として、堂々と戦ってみせます」
 貴方にもらったものは、あまりにも大きい。貴方に育ててもらった“私”自身を武器に、私は運命と戦うつもり。たとえ、もうそばに貴方がいてくれないとしても……。
「ねぇ、先生。『異国へ嫁ぐ女は、もう二度と祖国の土を踏めないことを覚悟しなければならない』と言われましたけど……いつか、王妃としての役割が終わった頃に、たった一度でも帰れる機会があることを夢見るくらいは、許されるでしょうか?」
 今日が最後と、何度も自分に言い聞かせているくせに、こんな望みの薄い“夢”に縋ろうとするなんて、愚かかしら。
「その時は、またこうして私と一緒にお茶を飲んでくださる?その頃にはもう、貴方も私も、真っ白な髪のおじいさん、おばあさんでしょうけど」
 でも、こんなささやかな“夢”がひとつでもあれば、少しは希望を持って生きられる気がするの。
 もしも、いつか本当にそんな機会が来るとしたら……その時には、許されるかしら。『あの時の告白、本当は悪戯なんかじゃなかったの』なんて、思い出話のついでのように告げても……。

 貴方と出逢って十七年。気がつけば、ずっと貴方がそばにいてくれた。
 父よりも母よりも近いところで、大切に私を見守ってくれていた。
 私のワガママも、怒りや嘆きも、他の誰も知らない涙も、全部受け止めてくれた。
 そんな貴方から離れて、苦労が待ち受けていると分かりきっている場所へ嫁ぐなんて、本当は恐くて仕方がない。
 けれど、隣国の脅威に晒され続けるこの国には、彼の国との同盟がどうしても必要だということも、痛いほどに分かっている。
 だから、覚悟を決めるしかない。私にはもう、前に進むことしかできないのだ。

 いつもと変わらず茶を口に運びながら、私はわずかな時間も惜しんで、貴方の姿を胸に刻む。
 貴方の存在は、もう私の日常の一部にさえなっているのに、明日からはその姿を見ることもできないなんて、信じられない。
 悲しいけれど、きっとこれが初めから定められていた、私と貴方の運命。そもそもこの運命が無ければ、貴方が私の先生として、私の前に現れることもなかったのだもの。

 貴方はまるで、口づけでもするように優しく茶に唇をつける。
 その仕草に密かにときめきながら、私も、茶の液体を介して貴方と接吻でもするかのように、そっと茶に唇をつけた。

 


(※)英語名は Catherine of Braganza。イギリスに茶を飲む習慣をもたらしたとされるポルトガル王女。
(当初は紅茶ではなく緑茶やウーロン茶に近い半発酵茶。)

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