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言ノ葉スクラップ・ブッキング〜シーン&シチュ妄想してみた。〜

管理人が妄想したシーンやシチュエーションをショート・ストーリー(?)にしたもの。
ジャンルはファンタジー・恋愛などなど。

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真面目に生きるのが馬鹿らしい、なんて
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 自分は、父のことをあまりよく知らない。
 死に別れたわけでも海外へ赴任しているわけでもないのだが、父はいつも仕事に忙しく、家に帰って来てもあまり喋らない。
 だから、未だにどんな人間なのか、いまいちよく分からずにいる。

 
 元々無口で、真面目なだけが取り柄なのだと、母は言う。
 それを聞くたび、あまりよく知らないはずのこの人との、血の繋がりを意識する。……自分も、思いを口にするのが得意ではなく、周囲からは真面目と評されがちだから。
 あまり嬉しくない遺伝だと、いつも思ってきた。
 
 真面目、堅物、融通が利かない――どれも、同年代の間ではあまり好まれない性質だ。
 自分たちの年代なら、ノリが良くて面白くて、ちょっと不真面目なくらいの方が、ウケが良い。
 自分だって、そんなことは理解している。
 だが、間違っていると知りながら、わざとルールを破ることなど、自分にはできない。誰かに迷惑がかかると分かっているのに、あえてふざけることなど、自分にはできない。
 
 “良い子”に見られたがっているだとか、真人間を目指しているだとか、そういうことではなく、これはきっと、ただ単に、そういう性格に生まれ育ってしまったというだけの話なのだろう。

 
 自分はたぶん“感情”よりも“理性”の方が強くできている。
 周りの人間が「遊びたい」「面倒くさいことはやりたくない」と“感情”の誘惑に負けるような時も、“理性”がブレーキをかけてくる。「ここで遊んでしまったら、後で苦しむことになる」「面倒くさくてもキチンとやらなければ、皆や自分自身が困ることになる」と、未来の予測を突きつけて、ラクな方へ逃げようとする自分自身を諫めてくるのだ。
 
 真面目という評価は、同年代からは不評でも、目上の人間の心を掴むのには役立つ。
 そのことに味を占めて、普段の自分以上に真面目ぶろうとしていた時期もあった。
 
 あれは確か、小学校3、4年の頃。
 初恋とも呼べないような淡い“憧れ”を抱いていた担任教師に、“特別な生徒”と思ってもらいたい一心の、不純な動機によるものだった。
 
 先生を困らせる“問題児”を厳しく注意し、嫌われ役を買ってでもクラスをまとめれば、先生の感謝と信頼を得ることはできた。
 だが、自分が本当に欲しかったものは、それ(・・)ではなかったのだと、後になって知った。

  先生がクラスの誰より特別(・・)気にかけていたのは、手のかからない真面目な優等生などではなかった。それとは真逆の、手の焼ける“問題児”の方だった。
 
 甘えのような反抗を繰り返す“問題児”に、先生は何度も辛抱強く向き合い、何ヶ月もかかって、ついにその心を少しだけ開かせることに成功した。
 初めてそいつが素直に先生の言うことを聞いた時、先生は何とも言えない表情をしていた。
 苦労がやっと報われたような、嬉しさを抑えきれないような、込み上げる何かを必死に我慢しようとしているような、そんな表情。
 それを見て、悟ってしまった。
 自分が本当に先生から向けてもらいたかった感情は、これだったのだと。
 
 ただ「イイコね」と微笑まれるより、本気で心を動かして欲しかった。どうしてソレをされるのが、自分ではなくあいつだったのだろう。
 自分の方がずっと、先生のことを好きだったのに。自分の方がずっと、先生の役に立とうと頑張ってきたのに。
 どうして、ずっと先生を困らせ続けて、最後の最後にチョロっと改心しただけの奴に、欲しかったものを奪われなければならないんだ。
 
 元から真面目な性格だからと言って、真面目でい続けるのが辛くないわけじゃない。
 誘惑に負けにくいからと言って、それに魅力を感じていないわけじゃない。本当は、怠けたい気持ちも、ラクをしたいという気持ちも、普通に持っている。
 他の誰かが何も考えずに許しているそんな“甘え”を、許さずに、流されずに、一つ一つ葬り去っているだけだ。
 
 なのに、それが周りから評価されることはない。評価されたとしても、好きになってもらえるわけじゃない。
 ならば、真面目に生きることの意味とは何なのだろう。
 
 それからも何度か、似たような思いを繰り返した。
 真面目な人間は何かと、損な役回りを押しつけられる。責任ある役目や感謝の言葉はもらっても、クラスの“人気者”になれるわけじゃない。
 それどころか“真面目にやりたくない”人間たちからは、馬鹿にされたり煙たがられたりする。
 こんな何の得も無い性格、捨ててしまいたいと何度思ったか知れない。
 だが、人間なんて、そんなに簡単に変われるものじゃない。
 
 ……あれは、中学の頃だっただろうか。
 部屋に籠もりがちになって、家族に対する言動が荒れていた頃。普段は滅多に話さない父が、珍しく話しかけてきた。
「これまでほとんど話もしたことないくせに、何を分かったようなことを言うんだ」と荒んだ心で反発して、聞く耳を持たなかったはずなのに、何故だかその時の言葉が、心の奥の奥に沈みこんで、今もそこに横たわっている。
 
 父は言った。「真面目に生きることは、自分を殺すことじゃない。むしろ自分を生かすために、真剣に人生と向き合うことだ」と。

 
「人間は結局皆、自分のことだけでいっぱいいっぱいで、他人のことなんてあまり見ちゃいない。人知れずやった努力や善行を、見出して称賛してくれる人なんて、現実にはほとんどいない。誰かに褒められてくて真面目に生きようとするなら、そんなのは空しいだけだ」と。

 
「だが、その真面目さは、必ずこの世界に必要なものだ。どんなに優れた能力や才能があったとしても、役目を放棄しラクな方へ逃げる人間に、この世界は支えられない。どんなに地道でも、目立たなくても、真面目にコツコツ己の役割を果たす人間がいてこそ、この世界はきちんと機能していくんだ」
 
 ……言いたいことは何となく分かったが、当時その言葉を素直に受け入れるには、心が傷つき過ぎていた。
 
 あの時の自分は、真面目にコツコツやってやっとレギュラーを掴んだ野球部を、一部の部員の軽率な行為により活動停止に追い込まれ、空しさのどん底にいた。

 
 現実というものは『アリとキリギリス』の寓話のように“不真面目な奴の自業自得”で終わってくれるとは限らない。
 真面目な人間が積み上げた努力が、巻き添えで全て台無しにされることもある。
 真面目に生きるなんて、ただただ馬鹿らしい……そんな風に思っていた。
 
 ある日、父は頬に盛大な青アザをつけて帰って来た。
 酔った客に絡まれて、殴られたのだと言う。
 
 父の仕事は駅員だ。夜も遅い時間になれば、そういう客も少なくない。
 それだけでなく日中も、歩きスマホに、列車が近づいて来ても点字ブロックの外をフラフラ歩く人、ホームから身を乗り出して写真を撮ろうとする人……“安全”のためのマナーでも、守ってくれない人は結構いる。そんな客を注意すると、逆ギレされて攻撃されそうになることもあるのだとか。

 
「それでも注意をしなければ、そういう行為は本当に、重大事故に繋がりかねない危険なものだから」
 父はそう言うが、空しくないのだろうかと思う。
 
 相手の命を気遣って、相手を想って注意しても、それを恨まれ攻撃される。
 トラブルで電車が遅れでもすれば、急ぎの客に苛立ちをぶつけられる。
 普段どんなにコツコツと真面目に正確な運行を守っていようと、ひと度何か起これば、そんな“それまで”の蓄積など最初から無かったかのように、ただただ責められる。

 
「仕事だからな。楽しいことばかりじゃない。だが、誰かがやらなければならないことだ。……ま、こんな性格でもなけりゃ、とうの昔に辞めていたかも知れないけどな」
 父はそう言って、自嘲するように小さく笑っていた。
 
 真面目なだけが取り柄の父が、その後も仕事を辞めずに働き続けたおかげで、自分は無事に高校を卒業し、この春には大学生になる。
 初めて実家を離れることになって、近頃ふと感傷的に、過去のことをあれこれ思い出すようになった。
 中学生だった自分に父がくれたあの言葉も、あの頃とは違う気持ちで思い出す。
 
 今にして思うと、あれは父が自分自身へ向けて言った言葉でもあったんじゃないか、と。
 息子より何十年も長く真面目な性格を生き続けてきた父が、その人生の中で見出した“答え”――あるいは、人生に対してつけた“折り合い”のようなものだったのではないか、と。
 
 あの時、父はこうも言っていた。
「誰からも褒めてもらえないなら、せめて自分自身くらいは、その真面目さを褒めて、誇ってやらなきゃ駄目だ」と。
 
 そう言えば息子の自分でさえ、父のことを褒めたり称えたりしたことはない。
 それどころか、感謝の言葉でさえ、ろくに言ってこなかった気がする。
 それでも父は、自分自身に対する誇りを支えに、その生き方を貫いてきたのだろうか。

 
 誰からも称賛されず、光も当てられず……それどころか時に理不尽に罵倒されたり、馬鹿にされたりしても……それでも、ただ黙々と己の役目を果たし、家族を支え続けてくれたのだろうか……。
 
 いよいよ実家を出るという日、父が車で送ってくれた。
 父は相変わらず無口で、車中で会話が弾むことはなかったが、車を降りる時に「ありがとう」と一言、目を見て告げてみた。
 
 送ってくれたことに対してだけじゃない、いろいろなことに対する感謝の気持ち。
 きっと、こんな一言だけでは父に伝わらないだろう。
 だけど、改めて全てを言葉にするには、気恥かしさや照れくささや、様々なものが邪魔をする。
 父はただ、言葉も無く微笑(わら)った。
 
 いつかは自分も、こんな自分の性格を、誇りに思える日が来るのだろうか。
 今はまだ、想像もつかない。
 だが少なくとも今の自分は、昔ほどにはこの性格を嫌っていない。
 真面目に生きるなんて馬鹿らしいと、嘆いたりはしていない。
 
 クラスの“人気者”や、小学校時代の“問題児”にしか得られなかったものがあるように、こんな自分にも、こんな自分だからこそ(・・・・・)得られるものが――こんな自分にしか(・・・)得られないものが、あるのかも知れない。
 
 何となく、今は、そんな風に思えるのだ。
 

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タイトル
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陽の当らない栄光
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 “国民的スター”になる人間というのは、予め運命で決まっているのだろうか。
 「運も実力のうち」とはよく聞くが、どれほど努力を重ねても、運命に愛され、そういう星の下に生まれてきた人間には、結局勝てないものなのだろうか。
 少なくとも私の世代では既に一人、スター選手が確定している。
 
 メディアや皆が取り上げたがるのは、いつでも“天才少女”や“天才少年”の物語だ。
 幼い頃から才能に恵まれていたり、優れたDNAを受け継ぐサラブレッドだったり……ドラマになりそうな“話題性”のある人間ばかりだ。
 何ひとつ持たない私に、陽の光が当たることはない。
 たとえ表彰台に上がる成績を収めたとしても、メディアが時間を割いて伝えるのは「不調でまさかのメダル無しに終わった“天才少女”」の涙と苦悩の声ばかり。
 
 正直、鬱々とした気分になる。「どうせ私の活躍なんて、誰にも望まれてないんだ」「『試合に調子を合わせるのも選手の大事な務め』って言われてるのに、どうしてあの子の不調は最悪の災難みたいに皆が同情するの?」と、ネガティブな思いばかりが頭の中をぐるぐる回る。
 
 青春なんて、全然キラキラしてない。
 高みを目指して必死になればなるほど、綺麗事だけでは済まなくて、時に心がドロドロになる。
 だけど、カメラとマイクを向けられれば、そんな本音は胸の奥底に封印して、笑顔で前向きなことばかり話すんだ。
 たとえそのインタビューが、ほんの数秒しか使われないものだったとしても……。
 
 昔は、テレビに顔が出るというだけで、大興奮してなかなか眠れなかったこともある。
 大勢集まった“将来のスター選手の卵たち”のうちの一人として、ドラマのエキストラと大差ない扱いだったとしても、録画したニュース映像を何度も何度も見返して喜んだりしたものだ。
 だけど今は、とてもそんな気分にはなれない。
 割り当てられた時間の差は、世間からの注目度の差だ。取材を受けた時間自体は長かったとしても、それがまるまる放映されることなど、まず無い。
 撮ったはずなのにカットされたそれは、「要らない」と言われ捨てられた、私の言葉、私の表情、私の時間だ。
 興味を惹かない人間に対する世間の目は、こんなにも冷めている。
 
 それなのに……そんな一分にも満たないニュース映像や試合のダイジェストを、いちいち細々とチェックし、せっせと録り貯め、ディスクに保存までしている人がいる。
 映像だけじゃない。新聞だって、名前と結果しか載っていない、ほんの小さな記事も、見逃さずに切り抜き、スクラップ・ブックに貼り付けていく。「そんなの保存してもディスクとスクラップ・ブックのムダでしょ」と言っても、一向にやめる気配がない。
 
 嬉しそうに作業するその後ろ姿を見るたびに、私はいたたまれない気持ちになる。
 こんなにも応援してもらっているのに、私は未だ、その熱意に応えることができていない。
 あの子のようなスター選手になれれば、誰もが知るほどの有名人になれれば、きっとこの人も自慢できるのに。
 今はまだ、何ものにもなれない無名の存在。「いつかは陽の当たる場所へ行ける」という希望ですら、あやふやな状態だ。
 このまま競技を続けていて良いのかと、いつも思う。
 どんなに頑張っても、認められない。表彰台に上がっても、ほとんど注目されない。
 それなのに……そんな私の競技生活は、この人の――母の犠牲の上に成り立っているのだ。
 
 どんな競技でも、ただの遊びでやるのと真剣に上を目指すのとでは、かかるお金が雲泥の差だ。
 単純に道具や練習、遠征にかかる費用だけではない。地元に充分な練習環境が無ければ、それの整った都市部への交通費もかかる。食事や消耗品などの雑費も、細かくちょこちょこ出ていって、積み重なれば結構な額だ。
 実家が裕福だったり、スポンサーがついてくれたりということでもなければ、家計にとって相当な負担となることは間違いない。
 
 それに、金銭面だけではない。
 行きは朝早くに、帰りは夜遅くに、駅まで送り迎えしてくれたり、学校が無い日でもお弁当を作ってくれたり、試合があればどんなに遠い場所でも駆けつけてくれる。そして、観客席で手作りの応援グッズを掲げてくれる。
 母は、私が目覚めた時には、もう起きて動き回っていて、私が眠ろうとする時にも、いつも何かしら作業をしている。この人は一体いつ眠っているのだろうと、何度も思ったものだ。
 
 母と違って父は、私が競技を続けることに、あまり良い感情を持っていない。
 私の前で直接口に出したりはしないが、私は知っている。
 あれは、小学校高学年の頃か、中学に入ってすぐの頃だったか……夜中にふと目が覚めて、トイレに行こうとした時、偶然聞いてしまったのだ。
 父と母が、私のことで口論しているのを……。
 
 父は、私に競技を辞めさせ、もっと普通で堅実な人生を歩ませるべきだと言っていた。普通の学校を卒業し、普通に結婚し、普通に子を産み育てればそれでいい、それが結局女の子にとって一番幸せなんじゃないか、と。
 だけど、普通に学校を卒業し、普通に結婚し、普通に私を産んでくれた母は、決して譲らなかった。
 何が幸せかを周りが押しつけるべきじゃない、あの子には、自分の好きなことを周りに言われて諦めたり我慢したりせずに、思いきりやらせてあげたいのだ、と。
 
 話はそのうち、お金のことや、母が私にばかり時間を割くことへの不満へと移っていった。
 それまで聞いたこともなかったような険しいやりとりや、扉の隙間から見えた母の涙に、今よりずっと子どもだった私は、怯え、震えた。
 そのまま逃げるように部屋に戻り、頭まで布団をかぶって丸くなったけど、身体の芯が冷えきったような感覚で、上手く眠れなかった。
 あの日のことを、私は未だに見なかったフリをしている。
 
 たまに、何気ないフリで訊いてみることがある。「お金がかかって大変なんじゃないの?」「毎回送り迎えするの、大変なんじゃないの?」と。
 母は必ず「大丈夫」「気にしなくていいんだよ」と笑う。
 だから私は何も言えなくなる。競技を辞める・辞めないという決断自体をズルズルと先延ばしにし、「母がそう望んでくれているから」と言い訳して、母に犠牲を強い続ける。
 私はズルい子だ。私自身が誰より、そのことを知っている。
 

 競技を続けている以上、私にできるせめてものことは、表彰台の一番上に上がること。よりメジャーな大会で、より良い成績を収めることだ。

 だけど、それさえきっと、母のため(・・・・)なんかじゃない。  だって、他の誰のため(・・・・)でもなく、私自身が(・・・・)一番になりたがっていることを、私はよく分かっている。

 今までの努力が報われもしないまま終わるなんて、我慢できない。一番になって皆を見返してやりたい――心の中でそう叫ぶ私自身を、知っている。

 私の中は綺麗なんかじゃない。醜い我欲(エゴ)のカタマリだ。

 だから、母のため(・・・・)だなんて思わない。母の期待を重荷に感じて、それでプレッシャーに潰されるなんて、そんな本末転倒はゴメンだ。

 母の犠牲を知りながら、それでもこの道を選んでいるのだから、母の存在を何かの言い訳にしたりはしない――それだけは強く心に誓っているのだ。

 

 いつか、一番権威ある大会の、一番高い場所に上って、陽の光を浴びる。

 元からの人気も前評判も関係ない、誰もが認めざるを得ない実力と結果を攫んで、本物のスターになる。それが私の夢だ。

 

 だけど、いつかそんな日が来たとしても、きっとその陽の光は、母にまでは届かない。

 “スター選手を育てた母”として、多少取り上げられることがあったとしても、母自身がその苦労と犠牲に見合った称賛を受けられるわけではないだろう。

 それでもきっと、あの人は、私の攫んだ栄光を、自分のことのように喜んで笑うのだろう。

 母のためでも何でもなく、ただ自分自身のために(・・・・・・・・)、私はそれが見たいと思う。

 

 今日も、観客の目はただ一人、スターのあの子に注がれる。

 今はまだ、陽の当らない場所にいる無名の私。

 だけど、少なくともただ一人、私を見てくれている目があることを、私は知っている。

 会場の空気がどれだけアウェーでも、めげずに、折れずに、ただベストを尽くす。

 栄光を攫むために。私自身が見たい笑顔(けしき)のために。

 私は、今日も戦場へ向かうんだ。

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能ある鷹はマイノリティ
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 世の人々の多くは、なぜか“一握りの天才”というものに、憧れや嫉妬を覚えるものらしい。

 だけど、よく考えてみて欲しい。

 全体から見て、ほんの数パーセントしか存在しない天才(ギフテッド)――それはすなわち“とてつもない少数派(マイノリティ)”ということに他ならないのだ。  大概のことが多数決の原理で動いていく現代社会において、それは圧倒的に不利な立場でしかない。  それなのに、なぜ人は、そんなモノに憧れたり妬いたりするのだろう……。

 

 他人と違うというだけで、この世は何かと生きづらい。
 口では個性を認めながら、実際には出る杭は打たれるのが世の習いだ。
 考えてみれば当たり前の話なのだ。
 大多数の人間は、「他人が自分より優れていること」を素直に喜んだりしない。
 
 何をしたわけでもないのに、ただそこに存在するというだけで、他人から疎まれ敵視される……そんな苦しみもきっと、一握りの人間にしか分からない。
 僕は、他人より優れた才や能力なんて欲しくなかった。距離を置いて囁かれる称賛や陰口より、ただごく平凡な友情が欲しかった。
 だから、自分の能力を封印しようと思った。
 能ある鷹は、きっと好きで爪を隠しているんじゃない。爪を隠さなければ仲間さえ恐がって近づいてきてくれないから、隠さざるを得ないんだ――そんな風に、思っていた。
 
 そもそも子どもの社会においては「勉強ができる」より「運動会の組別対抗リレーでアンカーに選ばれる」方がよほどヒーローになれる。
 同じ“能力の差”でも「運動ができる」奴は羨望の眼差しで見られるのに、「勉強ができる」奴は“真面目”だの“ガリ勉”だのと実情に合わないレッテルを貼られ、変な風に絡まれやすい。不公平な話だと思う。
 体格に恵まれず腕っぷしにも自信の無かった僕が自分自身の能力を隠したのは、自衛の意味でも有効だったように思う。
 
 他人より優れていると思しき部分は表に出さず、逆に不得意な分野や失敗は積極的にさらけ出した。
 “自虐ネタ”は他人を貶める必要もなく笑いがとれて美味しい。
 いつの間にか、自分を低く見せよう、低く見せようとするのが習い性のようになっていた。
 
 そうなってくると当然、アピールだの自己PRだのというものは大の苦手になってくる。
 苦手と言うより、それはほとんど本能的恐怖に近い。
 爪を隠す以前に見てきた他人の敵意や嫉妬の目が、トラウマのようにフラッシュバックして、長所を述べようとする口や頭を凍りつかせる。

 
 そうしていつも、とりたててアピールになるとも思えない、無難でありふれた“長所”を口にして終わりにしてしまう。
 今の僕は周りの人間から見れば、欠点だらけで長所もほとんど無いくせに、それを苦にも思わずネタにして喜ぶプライドの欠片もない人間、というところだろうか。

 
 ――それでいい。それでも他人と交わっていたいと、僕自身が望んだことだ。
 だけど、いつも何かが心の片隅で引っかかっている。
 本当にこれが、僕の望んだことだったのだろうか……。
 
 “自虐ネタ”は多くの人間に有効な“親しみやすさ”アピールの手段だが、一部の人間に対しては最低の悪手となり得る。
 人は、自分より優れたものに敵愾心を燃やし攻撃したがるものだが、同時に自分より劣ったものに対してもまた、優越感を味わうために攻撃したがるものなのだ。
 忘れかけていたその事実を、僕はつい最近、やっと思い出した。
 
 笑いを引き出すためにわざと誇張して話した失敗談を、鵜呑みにして侮蔑し、あまつさえそれをネタに虐げようとしてくる人間がいることを、僕はこれまで想像したこともなかった。

 
 あまりに信じ難くて、侮辱の言葉を吐かれている最中でさえ、呆けたように彼らを観察してしまったものだが、彼らは僕のその表情を「ショックを受けている」と勘違いしたらしい。
 「良いストレスの捌け口を見つけた」とばかりに下卑た笑いを浮かべて去っていく彼らを見送り、僕はしばし途方に暮れた。
 こういう場合、悔しがったり、悲しんだり、怒ったりするのが通常の反応なのだろう。
 だが、そんな感情は一切無く、ただ「困った」「どうしよう」という困惑の気持ちばかりが浮かび上がる。
 
 実際問題、実害さえ無ければ、彼らは僕にとって実に興味深い人間サンプルだ。
 彼らがどういう思考の経路を辿り、僕を「自分より下」の存在と判断し、虐めの標的とするに至ったのか、解き明かしてみたい気持ちもある。
 上手く解明し応用できれば、いじめ問題の抜本的な対策が出来上がるのではないかとさえ思ったりする。

 
 だが、事はそう単純ではない。
 何かと言っては刺激を求めたがる思春期の青少年が、個々の判断や理性が働きづらい“群れ”を形成しているとなれば、ふとしたきっかけで行為がエスカレートしていくことは想像に難くない。
 そして僕は、それを甘んじて受け入れるほど我慢強くも度量が広くもなかった。
 
 僕と他人と、何が違うのかと訊かれたら、結局のところ一番の違いは「頭脳を使うことを苦痛に感じないか否か」なのではないかと思う。
 頭を使って現状を理解し、分析し、その最適な解決策を導き出す――そのことを、面倒に思うこともなく、むしろゲームをクリアするように快感を感じてしまう。
 他人が人生の壁に突き当たって絶望するような場面でも、すぐさまその壁を乗り越える方法はないかと思索を始め、その考察自体を推理小説でも読むかの如くワクワク楽しんでしまう。
 
 長い間爪を隠し続けてきた僕は、自分の能力を発揮する機会に、知らず知らずのうちに飢えていた。
 そして自ら敵として名乗りを上げてくれ、心証の善し悪しを考慮する必要の一切無い彼らは、その力を揮う相手として、これ以上ないほど打ってつけだった。 

 そもそもが相手のスペックをよくよく確認もせず、勝手な心象(イメージ)やうわべの情報だけでターゲット認定してくるような、考えなしな人間ばかりだ。

 反撃の想定もしていなければ、弱点などの情報を隠そうという意識すら無い。

 それどころか、後に黒歴史や人生の致命的ダメージとなりかねない加害行為の物的証拠を、自ら山ほど提供してくれる始末だ。
 ちょっとつつけば即死なのでは、というほど無防備過ぎるその有様に、僕の方が「よくこれで、いじめなんてリスキーなことに手を出せるな」と呆気に取られたほどだ。
 
 力を揮ったと思うほどの手応えすら無く、拍子抜けなほどあっさりと、僕は標的から解放された。
 僕としては、ふりかかった火の粉を払い落したというだけの感覚だった。だが、周りの人間にはどうも、そう見えてはいなかったらしい。
 
 周囲の僕を見る目がいつの間にか、爪を隠す以前のものに戻っていた。
 いや、それよりもっと悪いかも知れない。
 何か得体の知れないものを見るような、畏怖とも恐怖ともつかない眼差し。
 そこで僕はやっと、自分がやり過ぎてしまったことを悟った。

 
 ――そうか。普通はこんなことがあっても、自分一人で解決したりはしないのか。
 人格否定の言葉を散々投げつけられてなお、平然と冷静に相手を追いつめて、逆にトラウマを植えつけたりはしないものか……。
 
 以前は親しく話していたはずの人間さえ、今では微妙に僕と距離を置いて接してくる。
 だが、僕はそれを恨みに思いはしない。
 
 皆と「同じ」に見て欲しくて、ずっと自分を偽ってきた。本当の自分を見せたら、近くにいてもらえないと思っていた。
 だけど、それもこれも結局、僕が皆を過小に評価しているのと同じことなのかも知れない。
 あるいは、僕が臆病で、周りを信じきれていないだけなのかも知れない。
 
 いっそ、僕のような“天才もどき”なんかとは違う“真の天才”たちのように、周囲に理解してもらえることなどないのだと諦めて、自分の道を貫く方が良いのだろうかと、時々考える。
 だけど僕はきっと、その寂しさに耐えられない。
 
 “天才”だ、“選ばれた人間”だと、皆、口では褒め称えるが、そのうちの何人が、そんな“天才”を本気で愛してくれるだろうか。
 皆が欲するのは天才たちのもたらす成果であって、天才たち自身ではない。
 僕は、皆から何とも思われない優秀な人間でいるより、皆の輪の中に普通に溶け込んで笑い合える、愛すべき人間になりたかった。
 そして今もそれを、焦がれるほどに望んでいる。
 
 世の人々の多くは、“一握りの天才”なら「人生を上手く渡っていける」と思っているのだろう。
 だけど、よく考えてみて欲しい。
 他人より優秀な能力を持ってさえいれば、必ず幸せになれるのか、と。
 この世にほんの数パーセントしかいないという、生まれながらの孤独を宿命づけられて、本当に幸せと言えるのか、と。
 
 僕はきっと、そのうちまた爪を隠すだろう。
 これが正しいことなのか、自分でも分からない。
 だけど爪を隠している間、僕は今よりずっと幸福だった。
 その時間を取り戻したい。ただ、それだけなんだ。

 

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救いの手は、今
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 マンガや小説やドラマの中なら、主人公が困難に陥った時には、必ず“救いの手”が差し伸べられる。
 助けてくれる人だったり、苦境を突破するきっかけだったり……。
 そういうものなのだと、幼い頃は思っていた。

 だけど、私が死にたいくらいに辛かったあの時、救いの手なんかどこにも無かった。
 誰も助けてくれなかったし、解決の糸口さえ見当たらなかった。
 ただ、耐えて、耐えて、耐え続けて……時間が状況を変えてくれるのを待つことしかできなかった。

 救いの手なんて結局、物語を上手く転がすための都合の良い道具に過ぎないんだ。実際には存在しないものなんだ――そう、自分に言い聞かせて、これまでにも数えきれないほど呑み込んできた“悲しい現実”を、またひとつ無理矢理、 ( のど ) の奥に押し込んだ。

 

 時間の流れは、時にじれったく思うほど、じりじりと遅く感じられたけど、それでもちゃんと流れて、ただ耐えるばかりの日々を終わりにしてくれた。
 高校は知人のいない遠い場所を選んで、“中学時代の私”を丸ごと抹消するように、髪型や話し方や持ち物を変えた。
 一緒に過ごす友達もできて、今のところは何事もなく、上手くやれていると思う。

 だけど、友人たちと別れて一人駅のホームに立つと、急にどっと疲れが襲ってくる。

 肉体 (   からだ ) の疲れじゃなくて、 精神 ( こころ ) の疲れだ。

 
 “今までとは違う自分”を演じていることに、後ろめたさがある。
 ボロが出ないように常に気を張って、本当はいつもビクビクしている。
 だけど、いじめが無い分、中学時代よりはずっとマシだ。
 
 スマホを出す気力も無く、ただぼんやりホームにたたずむ私の目に、今日も彼女の姿が引っかかった。
 
 時々このホームで見かける、知らない学校の制服を着た、知らない女の子。
 同い年か、少し年下くらいの彼女の姿が、何故だかひどく気にかかるのは、たぶんあの子が似ているからだ。
 
 黒いゴムで無造作にひとつに束ねた髪。わずかでも目立つのを恐れるように、どこまでも地味に、無難に整えられた身だしなみ。人目に怯えるようにうつむきがちな顔……。
 どこか縮こまって見えるその姿は、かつて私が鏡の中に見ていた“私の姿”そのままに見えた。
 
 「助けて」という一言を口にすることさえできないまま、それでも心の奥底で、もがくように“救いの手”を求めていた頃の私。
 “救いの手”が、どこかにはあるはずだと、まだ微かな希望に(すが)っていた頃の私。

 今はもう捨て去ったはずの、中学時代の私の姿……。
 
 これは私だけが感じている、一方的で勝手な親近感に過ぎないだろう。
 彼女が“かつての私”と同じような目に遭っているかどうかなんて、分からない。
 
 だけど……彼女を見ていると、いつでも胸がピリリと痛む。
 まるで“あの頃の私”が私の中に蘇ってきたようで、行き場のない痛みが内側から胸を刺す。
 心の傷口を自分で抉るような、自傷行為に近いものだと分かっているのに……それでも、気づけば目が彼女を探している。
 
 彼女は、今日も(くら)い目をしている。

 何をするでもなく、ただホームに立ち尽くし、表情の無い顔で、どことも知れない場所を見ている。
 その表情に同期するかのように、かつて私が胸に抱えていたものが蘇ってくる。
 
 それは、哀しみだとか、怒りだとか、痛いだとか辛いだとか、そんな簡単に名を付けられるものじゃない。
 むしろ、そんな分かりやすく名の付いた感情はとっくの昔に通り越して、ただ重苦しい疲労感が身体の全部を覆っている――そんな感覚だ。
 
 ――もう、疲れた。何もしたくない。何も考えたくない。
 誰か助けて欲しい。……誰も助けてくれない。
 どうすれば、こんな毎日が終わってくれるんだろう……。
 
 あの頃の心の声をぼんやり反復(リピート)し続ける私の耳に、電車の到着を知らせるアナウンスが流れ込んで来た。
 その時、電車のドアひとつ分隣にいた彼女が、ふらりと足を踏み出した。
 黄色い点字ブロックの線を越えて、さらに前へ。
 その先には、何も無いのに。
 そこから先へ行っても、待ち受けているのは壮絶な痛みの果ての虚無でしかないのに。
 
 まともに思考を巡らせる暇も無かった。
 気づけば駆けだしていた。
 自分が何をしているのか自覚さえしないまま、気づけば彼女の腕を取り、引き寄せていた。
 
 今まで話したこともない相手だとか、本当に死のうとしていたかどうか分からないだとか、そんなことさえ頭に浮かばなかった。
 ただ反射のように唇を開いていた。
 
「死なないで」
 
 その声は、駅にすべり込んできた電車の警笛に、ほとんどかき消された。
 それでも、目の前にいた彼女には、ちゃんと届いたようだった。
 彼女が、それまで無表情だった顔に驚きの表情(いろ)を浮かべて私を見る。

 
 一瞬だけ、胸がひやりとした。
 私は、何かおかしなことをしているんじゃないだろうか、と。
 
 驚きに見開かれていた彼女の目が、すぐに泣き笑いのようにくしゃりと歪められる。
 自分がしようとしていたことに今さらながら怯えているようなその瞳に、私は自分の行動が正しかったことを悟った。
 
「……どうして……」
 
 彼女が、か細い声で問う。
 
 人の乗り降りもまばらな電車を一本見送って、ホームにふたりきりで取り残される。
 私は何を言いたいのかも分からないまま、急き立てられるように口を開いていた。
 
「消えてしまわないで欲しいの。ここ(・・)にいて欲しいの。……あなたは、私に似てるから」
 
 出てきた言葉は自分でも呆れるほど、脈絡も何もない、意味の分からないものだった。
 だけど――その言葉に、何故か胸がきゅっと(うず)いた。

 
 私によく似た彼女を瞳に映しながら、奇妙な感覚に囚われる。
 目の前にいるのは赤の他人だと分かっているのに……中学時代の自分が、ここにいるような気がする。
 あの頃の自分に、語りかけているように錯覚する。
 
 ……だったら、今の言葉は、私があの頃の自分に言ってあげたい言葉だ。
 あの頃の私が聞きたかった――だけど結局は、誰からも言ってもらえなかった言葉だ。
 
 あの頃、私は自分が嫌いだった。「こんな自分、いなくなってしまえばいい」と思っていた。
 だけど、本当は、嫌いになりたかったわけじゃない。
 その外見や人格(キャラ)や持ち物全てを、要らないもののように捨て去りたかったわけじゃない。
 
 皆がばかにするから――ダメなもののように扱ってくるから、嫌いにならなければいけないような気がしていた。
 変わらなければダメなんだと思っていた。
 
 だけど、本当は、未熟なところも、上手く生きられないところも全部ひっくるめて、私という存在を認めて欲しかった。
 こんな私でも、この世界(・・・・)にいていいんだと、誰かに言って欲しかった。
 私の欲しかった“救いの手”は、きっと、そんな簡単で単純で、ささやかなものだった。
 
 あの頃、望んでも手に入らなかった言葉を、自分の口から聞きながら、今さらのように気づく。
 
 ――そうか。救いの手は、ちゃんとあったんだ。
 もしも、この世界にたったひとつも救いの手が無かったとしても、私が、そのたったひとつを生み出すことはできる。
 
 実際には、こんなちっぽけな手じゃ、誰も救えないかも知れない。
 だけど、誰かを救おうとして伸ばした手が、放った言葉が、逆に自分自身を救ってくれる――そんなことが、あるような気がする。
 だって、今の私がそうだから。
 
 かつての私によく似た、まだ名前も知らない彼女に、私は改めて手を伸ばす。
 
 あの頃、未来も見えない日々の中で、縋るように求め続けていた“救いの手”。
 それが今、やっと、あの日の私に届いた――不思議と、そんな気がした。

 

 

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明治時代・怪盗ファンタジー小説(途中・怪盗アクション後エピソード)
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JUGEMテーマ:時代小説

 

・以前、数シーンだけUPした明治時代の怪盗モノ小説のワンシーンです。
冒頭部分途中部分東京名所デート部分怪盗シーン編物語の核心部分を既にUP済み。)

・通しでちゃんとした形で出すには、かなりの推敲練り直しが必要なため、とりあえず途中途中の何シーンかだけちょこちょこ出しています。

・旭は普段は男装していて対外的には「御曹司(男)」ということになっていますが、正真正銘女の子です。
 


 
 その後、深夜のうちに窓からこっそり雪ヶ崎邸へと戻った旭は、翌日になって雄道の呼び出しを受けていた。
「旭。今日の新聞を読んだか?」
「いえ、まだ。何か面白い記事でも載ってましたか?」
「……白々しいことを申すでない。見ろ。今日の新聞はどれも『新たな盗賊』の話題で持ちきりだ」
 雄道が卓子の上に投げ出した新聞を旭は手に取り目を通す。
「『月下の翼』か。なかなか洒落た名を付ける新聞もあるものですね」
「感想を聞いておるわけではない」
「では何をお聞きになりたいのですか?」
 堂々と白を切ると雄道は深々と溜息をついた。
「これはお前のことだろう。誤魔化したところで無駄だ。背に金色の翼など、お前くらいしか考えられん」
「何を仰いますか。新聞の記事など元よりあまり当てにはならぬもの。ご存命の方の死亡記事が平気で載るような有様なのですから。これだって荒唐無稽な噂話の類でしょう」
「新聞だけならばお前の言を信じてやっても良かったが、あいにくだったな。昨夜は蒼七郎が烏の様子を見守っておったのでな」
「……霧峰が。どうして、そんな。いつもなら烏小僧が何処で盗みをしていようが屋敷で書物に埋もれているのに」
「よく分からぬが、昨夜は何か気懸かりなことがあったようでな」
「……本当に霧峰が見ていたのですか?おじい様、僕を引っ掛けようとしているわけではないですよね?」
「本当だとも。お前のしていた面妖な格好についてまで事細かに語っておったわ。脚が腿まで見えておったとか。全く嘆かわしい。蒼七郎も泣いておったぞ」
 首を振って嘆く雄道に旭は困ったようにこめかみを掻いた。
「霧峰が見ていたのでは仕方ありませんね。そうです。昨夜の『新たな盗賊』は僕ですよ」
 すっかり開き直ったようなその態度に雄道は顔を覆う。
「お前という子は……どういうつもりなのだ。自分の置かれておる立場をきちんと理解してはおらんのか?」
「理解はしております。おじい様が僕のためを思って外へ出さずにいることも、分かっております。……ですが、もう幼子ではないのですから、いつまでも厳重に守っていて下さらずとも大丈夫ですよ。もう自分の身くらい自分で守れます。いつまでも僕を屋敷の中に閉じ込めていられないことくらい、おじい様もお分かりのはずでしょう?」
「……そうだな。それは、分かっておるのだ。だが、まだ早い。まだ良いではないか」
 雄道は顔を覆ったまま、呻くように言葉を発する。
「……お前がこうやって羽目を外すようになったのはあの小僧と出会ってからだな。……あの小僧が羨ましいのか、旭」
「羨ましいだなんて、そんな……。青流には青流の、他人には分からぬ苦しみがあるというのに」
「全く。何かと言っては大人を振り回して困らせるくせに……。肝心な所ではいつもそうやって、他人の心ばかり気にかけて……。困った子だ。お前は、本当に」
 困った子だと言いながら、雄道のその口元は優しく緩められている。
「だが、烏小僧の真似事はいかんぞ。あれは危険な仕事だからな。お前に万一のことがあったら、亡き紅姫に申し訳が立たん」
 雄道の口から出たその名に、旭は一瞬ぴくりと眉を上げた。だが、すぐに何もなかったかのように深く頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
「うむ。外へ出たいのなら今度わしが上野の動物園にでも連れて行ってやるから。今はまだ屋敷の中でおとなしくしていなさい」
「はい……」
 もう一度頭を下げ、部屋を出て行こうと扉に手を掛け……旭は何かを思い出したようにふっと振り返った。
「おじい様……。ここニ、三年でおじい様が買収してきた工場や鉱山は、ほとんどが皆、烏小僧に財を奪われ経営が立ち行かなくなり、戸を鎖るに至った会社のものばかりですよね」
「ん……?そうだったか?確かにそうだったかもしれんが。困っている者達を助けるのは人として当然の行いではないか」
「………………」
 旭は何も言わなかった。ただ、雄道に見えぬよう扉に顔を向け、きゅっと唇を噛みしめた。
 
 雄道との話を終え廊下に出ると、今度は霧峰が待ち構えていた。
「長かったですね。でも今回ばかりは私も旭様のお味方はできませんよ。外の者には関わるなと申し上げてきたはずです。それなのによりにもよって盗人である青流と共に夜の帝都を飛び回るなどとんでもないことです」
「霧峰。お前、あの子に何をさせている?」
 霧峰の言葉を無視して問うと、霧峰は一瞬間を置き苦笑した。
「……『あの子』ですか。青流が聞いたら激怒しますよ。自分ではもう一人前の大人の男のつもりでいるんですから」
「誤魔化すな。青流に三塚家での盗みを指示したのはお前だな?」
 その問いに、霧峰はしばし沈黙した。頭の中で考えを巡らせた後、誤魔化しきれることではないと思ったのか吐息を一つついて口を開く。
「……さすがですね。もうお気づきになられましたか」
「前々からおかしいと思っていたからな。商業上うちと競い合う家があると、必ずと言っていいほど烏小僧に財を盗まれて潰れていく。ずっと、確かめたいと思っていたんだ。……昨夜青流に会って確信した。お前、何ということをさせているんだ。あんな、まだ大人にもなりきれていないような少年に」
「危険な行為だというのは青流も承知の上ですよ。それに、あの子は元々『義賊になりたい』と言って私の弟子になったんです。望みが叶って青流も満足のはずですよ」
「義賊……?雪ヶ崎の邪魔になる家を潰すための企みが、か?」
「盗んだ金はちゃんと貧民窟にばらまいているではありませんか。それにあの子が盗んだものは決して綺麗な金などではありませんよ。他者を陥れ、弱者を踏みつけにするなど、今のこの時代に成り上がった家のどれもが、多かれ少なかれやっていることです」
「そういう問題ではないだろう。他家がどうであろうと、それが雪ヶ崎が悪事を働いて良い理由にはならない。……青流は、自分のやっていることが間違っていると、とうに気づいているぞ。それでもあの子に盗みを続けさせるのか」
 霧峰はしばらく沈黙し、静かに口を開いた。
「間違っていようと何だろうと、今のあの子には必要なんですよ。誰かから『必要とされる』ということが。例え本当に必要とされているのは青流自身ではなく青流の盗んで来る金の方なのだとしても。自分の行為により誰かが救われ、その救った誰かから感謝される。今はまだ、そうやって他人に自分を肯定してもらうことでしか己の生きる意義を見出せないんです。いつか、己の命を懸けても良いと思えるほどの何かと出会うことができたなら、そういうものに頼る必要もなくなるのでしょうけどね」
「……とか何とか言いながら、本当は単に一石二鳥だとでも思っていたのだろう。青流が『烏小僧』になって雪ヶ崎の競争相手から財を盗めば、義賊になりたいという青流の望みも叶うし、雪ヶ崎の利益にもなる。実際は義賊などではないわけだが……」
 旭は一旦言葉を切り溜息をついた。
「お前は時たま損得勘定にばかり頭を回して人の情を考えに入れないことがあるからな。そんなことを続けていると、そのうちあの子に嫌われるぞ」
「仕方がありませんよ。元々私は誰かに好かれるような人間ではありませんから」
「……僕の前でそんな哀しいことを堂々と言うな。僕がお前を嫌っているとでも思うのか」
「旭様……」
「青流だって同じだと思うぞ。……お前だって青流のことを可愛いと思っているのだろう?先刻の言葉、よほど青流のことを真剣に思いやっていないと出てこない言葉のように思えたが」
「……それでも私は、雄道様やあなたのためなら青流のことを平気で切り捨てます。そういう男ですよ、私は」
 旭はしばらく無言だった。が、やがてぽつりと呟く。
「いいじゃないか。他人の感謝に支えられる生き方でも」
「はい?」
「大切なもののためなら他人の感謝も肯定も、他に何も要らないなんてそんな生き方は哀し過ぎるだろう?望むのなら、何一つ棄てず、全て持っていればいいじゃないか」
 真摯な眼差しに、霧峰は一瞬目を見開いた後、どこか苦笑いのような顔で微笑む。
「そういうお考えもあるのでしょうね。ですが私は不器用ですので己の選んだ生き方しか出来ません。それに、例えそう望んでとしても、どちらか一方だけしか選べないという局面は必ずあるものです。あなたにもございますでしょう?そういう局面に立たされた時、他の何を棄てても選び取りたいというものが……」
 霧峰の言葉に旭は何も答えられず目を伏せる。そんな旭をどこか哀しげな瞳で見つめた後、霧峰は話を変えた。
「……それで。私の仕業だとお気づきになった上で、あなたはどうなさるんですか?」
 どこか笑いを含んだようなその問いに、旭は目を伏せたままきゅっと唇を噛む。
「……どうもしない。出来ないだろう。僕がやめろと言ったところでお前が聞くとは思えない。それに、もし今この不正を暴けたとしても……うちが潰れれば、うちで働く全ての人間が職を失くし路頭に迷う」
「その通りです。よくお分かりですね」
「……お前もおじい様も……どうしてそこまでして雪ヶ崎を大きくしたいんだ。このままでも充分じゃないか。たとえ今の時点で全ての事業から手を引いたとしても、おじい様が生きている間くらいは金に困ることはないだろう?」
「金が問題ではないのですよ。大きくしていかなければ、さらに大きなものに潰されていくだけです。強くなければ生き残れない。時代はそういう風に動いているのですから」
「……確かにそうかもしれない。強者が弱者を屠って生きていく――この世は修羅なのかもしれない。けれど、それだけではないだろう?世の中を形作っているのは人なのだから。もっと、優しい所もあっていいはずだろう?人の心に優しさが在れば、世の中だって優しくなるはずだ」
「ええ。そうですね。あなたのように優しい方が世を動かしていくのなら、きっとこの世も優しく美しいものに変わる。私も、そんな世の中を見てみたいと思っていますよ。ですから……もっと齢を重ねられて、雪ヶ崎をお継ぎになられたら、あなたがそういう世の中をお創り下さい。そのお心のままに、優しい世の中を。その時あなたを阻む障害が無いよう、私と雄道様が道を整えておきますから」
 優しい声で告げられ、旭は目を見開いた。
「……違う。僕はそんなこと、望んでいない」
 だがいくら否定しても霧峰はただ笑うばかり。旭は、泣くのを堪えるように眉を寄せ、足早にその場を去った。

 

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ほんの一瞬だけの青春
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JUGEMテーマ:青春(ヤングアダルト)小説

 

 結局、青春なんて、どこにあったんだろう。
 
 三年間、これでも必死に努力してきたつもりだったのに、記録を出すどころか、地区大会の代表にも選ばれなかった。
 
 学園ドラマやスポーツ漫画にあるような熱くてキラキラした青春は、俺の隣にいた、俺よりずっと才能も実力もあるチームメイトのもので、俺はまるで背景の名も無き観衆のように、そいつらの活躍を応援するだけだった。
 
 一体、何のために毎日汗だくになりながら、辛い練習をこなしてきたんだろう。
 いつかは見つけられるかも知れないと思っていた、競技に打ち込む意味も意義も、結局うすらぼんやりして見えないまま、今日でその辛い練習も終わる。

 
 今まで何度も「苦しい」「辞めたい」と思ってきたはずなのに、いざ「今日で最後」となると湧き上がってくる、この感情は何だろう。
 悔しさだとか未練だとか、そんなありきたりな言葉じゃ説明がつかない。
 
 両手にすくった銀の砂が、指の間をすり抜けてさらさらと零れ落ちていく――それを黙って見ていることしかできないような……切なさや、もどかしさに、どこか似た感情。
 

 もう、この先の結果も何も待っていない最後の練習を、ただ決められたスケジュールの通りに淡々とこなしていく。
 
 走って、地を蹴って、高く掲げられたバーを後ろ向きに跳び越える。
 数えきれないほどに繰り返し、もはや習慣のひとつにでもなっているかのような、一連の動作。
 
 けれど、これ(・・)も今日が最後。

 
 何の結果が出せたわけでもないのに。未練に思うほどの成績を残せたわけでもないのに。
 一体、何を惜しんでいるのだろう。
 

 自分でも分からないまま、バーへ向かってひた走る。
 がむしゃらに地を蹴って、助走で貯めた勢いを縦方向の跳躍力へと変換する。
 
 両足が地面から離れ、ほんの一瞬の浮遊感に包まれる。
 

 頭の中が空っぽになり、視界には、ただ青過ぎるほどに青い空の色だけが広がる。
 
 まるで時間さえも止まって、ただ青いばかりの世界に、自分だけが放り込まれてしまったかのように錯覚する、永遠のような――だけど実際には、秒にも満たないかも知れない、一瞬。

 
 その一瞬、ふいに理解した。
 
 俺はただ、この一瞬が好きだった。
 
 踏み切って、バーを跳び越えて、マットに沈み込むまでの間の、ほんの一瞬。
 
 まるで、大地からも重力からも――世界そのものからさえ、自由になれたような……。
 そんな不思議な解放感と爽快感で、頭も胸もいっぱいになる、この一瞬。

 
 この一瞬を味わいたかったから、この競技を選んだ。
 
 誰に褒められなくても、他人より良い結果を残せなかったとしても……ただ、この一瞬の快感を味わいたくて。

 
 記録を追い求める周囲の声や熱気に押し流されて、いつの間にか忘れてしまっていた。
 そのことを、今になって思い出した。
 

 指のすき間から零れ落ちていくように、かけがえのない一瞬が流れ去っていく。
 
 背中からマットに沈んでいきながら、無性に泣きたい気分に襲われた。
 

 俺はこれまでに幾度、この一瞬を繰り返してきただろう。
 これまでは当たり前に在った――けれど、この先はきっと味わうことのできない一瞬を。
 

 もっと早くに気づいておけば良かった。もっと早く思い出せていれば良かった。
 今さら惜しんだところで、もう時は戻らないのに。
 

 マットに倒れ込んだまま、すぐには起き上がらずに、俺は空を見上げ、今の一瞬を反芻する。
 

 ――青春なんて、どこにあるのだろうと思っていた。
 青春なんて、“選ばれた人間”にしか訪れないものなんだと思っていた。
 
 だけど、この一瞬の中に感じていた、身体の奥まで突き抜けるような心地良さは、“選ばれた人間”に与えられた栄光にも劣らないものだった。

 
 こんな、吹けば消えてしまう幻のような、一瞬だけの青春なんて、きっと俺以外の誰にも理解してもらえないだろう。
 
 そもそも、言葉で上手く説明できる自信すら無い。
 
 だけど確かに、ここには青春と呼んでいい何かがあった。何も無かったわけじゃなかった。
 

 この先、競技からも学生時代からも遠く離れた日常の中で、俺はふと、この一瞬を思い出すことがあるだろうか。
 その時、俺は何を思うのだろう。

 
 今日のこの空の色や、グラウンドの空気や、汗ばんで重く感じる身体の感覚や――今はまだ、当たり前にここに在る何もかもを、ちゃんと鮮明に思い出せるだろうか。
 

 せめて、俺がこの一瞬に感じていたものだけは、忘れられずにいるといい。
 
 そうして思い出すたびに、一瞬だけ、身体が世界から解き放たれた気になって、心がふわりと軽くなればいい。そう、思う。
 

 今はまだ想像もつかない未来の自分のために、ひとつでも多くのものを残しておこう――そんなことを考えながら、俺は、今、五感に流れ込んでくる全ての情報(もの)を、忘れないよう、深く胸に刻み込んだ。

 

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明治時代・怪盗ファンタジー小説(途中・怪盗シーン編)
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JUGEMテーマ:オリジナルファンタジー

 

・以前、数シーンだけUPした明治時代怪盗モノ小説のワンシーン(初アクション(?)シーン)です。
冒頭部分途中部分東京名所デート部分物語の核心部分を既にUP済み。)

・アイディアはあるものの、通しで書く時間的余裕が無さそうなので、めぼしいシーンのみ抜き出して書いています。

・旭は普段は男装していて対外的には「御曹司(男)」ということになっていますが、正真正銘女の子です。

 


 

 数日後の夜。青流は大勢の警官に追われ必死で逃げていた。
依頼されていた盗み自体には成功したものの逃走経路の地図に不備があり、抜け道を通っている途中、よりにもよって警官の詰所の真ん前に出てしまったのだ。

 これは間違いなく、先日青流が旭を連れ出したことに対する霧峰の報復だ。……霧峰がそういう男だということを青流はすっかり忘れ果てていた。
(つーか、やばい!このままじゃ逃げ切れないかもしれん。師匠!あんた、くだらん嫉妬だとか自分で言っときながら、嫌がらせはきっちりして来るのかよ!?)
 なまじ盗み自体は成功してしまったものだから、札束の入った重い布袋が邪魔になる。
 霧峰はおそらく、青流ならぎりぎり逃げ切れるだろうと踏んでこんな悪戯を仕組んできたのだろうが、それは過大評価だと訴えたい。事実青流は家屋の屋根に上ったはいいものの、四方の路上を警官達に埋め尽くされ完全に逃げ場を失くしていた。
(やべぇ……本当に逃げ場が無ぇ……。師匠……恨むぞ)
 屋根瓦の上に両手をつき、絶望に項垂れていると、ふいに頭上から声が降ってきた。
「大丈夫か?青流」
 顔を上げて、絶句する。それは、まるで空から天女が降りてきたかと錯覚するような光景だった。
 闇の中、まるでそれ自体が光を放つように白く輝いて見える肌。風に泳ぐ金の髪。向けられた瞳は翠玉の碧。
 音も気配も無く忽然と現れた旭は、あの出会いの夜と同じ夢のように美しい姿で青流の前に立っていた。状況も忘れてその姿に惚けた後、青流はふっと我に返り叫ぶ。
「あんた……っ、何でここにいる!?」
「何故って、青流を助けるために決まっているじゃないか。『烏小僧』が出たと、うちの周りでも大騒ぎだったからな」
 旭は平然と言い、屋根瓦の上を危なげなく、足音一つさせずに青流に歩み寄ってくる。改めてその姿をよく見るなり、青流は喉の奥から絶叫した。
「ぎゃーっ!何だ、その格好はっ!」
 旭は今までに目にしたことのないような突飛な衣装を身につけていた。

 細い脚を覆うのは鮮やかな蒼色の、裾の異様に短い袴。上に着けた白っぽい色の単衣も袖が短く、肘から下は完全に露出している。肩には袴と同色の頭巾の付いた、外套にしてはやけに短い、胸の下辺りまでしか丈のない外衣。そして頭の天辺には鉢巻状に白い幅広の布が巻きつけてあった。
「何って、盗人装束だ。縫に言ってこっそり仕立ててもらったんだ」
「何で仕立てるんだそんな物!縫さんは何も疑問には思わなかったのか!?」
「さあ。僕は縫ではないから分かりかねるが」
「って、そうじゃないっ!それも確かに疑問だが、そうじゃない!お前、何だ!?その袴の短さはっ!」
「これか?」
 言って旭はぴらりと裾をつまんで見せた。袴とは言うものの、その丈は袴にしてはあまりにも短い。膝丈よりもさらに短く、ちょっとつまんだだけで太腿が見えてしまうほどの短さだ。
「ぎゃーっ!めくるなっ!お前っ!脚がっ!脚が見えてるぞ!?」
「それは見えるだろう。この丈なら」
「なんでそんな短い丈にしてるんだーっ!?」
「だって、長いと動きづらいじゃないか。慣れている青流ならともかく、僕では裾のひらひらした長い袴で屋根の上を飛び跳ねたりできない。だから思いきり短くしてくれと縫に頼んだんだ」
「ばかっ!お前はそこまでして屋根の上を飛び跳ねたりしなくていいんだ!」
「しかし動きづらい格好ではどの道警官達から逃げきれないだろう」
「それもそうだが……。って、いやそれよりっ、そんな格好で飛んだり跳ねたりしたら、見えるっ!袴の中が見えちまうだろう!?」
 頬を赤らめて目を逸らす青流とは対照的に、旭は平然と言い放つ。
「大丈夫。下帯なら着けている」
「乙女が男性用下着を身につけるなーっ!」
「女じゃないと言っているだろう。それに仮に女だったとして、だったら何も身に着けるなと言うのか?」
「い、いや、それは……っ」
「だったらいいだろう。この国ではまだ婦人用下着など普及していないのだし」
「だからってなぁ……」
「で、どうだ?この装束は。盗人らしく見えるか?」
 言って旭は青流の前でくるりと一回転して見せる。青流はその姿を上から下まで眺めて深々と溜息をついた。
「駄目だな。なってない。お前、盗人は闇に紛れて目立たず行動するのが基本なんだぞ。なのに何なんだ、その頭に巻いた白い鉢巻は。そんなのがひらひらしてたら目立って仕方ないだろう」
「駄目か?やはり帝都の闇夜を疾風のように駆け抜ける盗賊だったら衣装の一部を風にたなびかせていないと駄目だと思うんだが……」
「……何だ、その思い込みは」
「青流だっていつもその黒外套を風になびかせているじゃないか。それは格好良いと思うからそうしているんだろう?」
「う……っ」
 確かに自分でも多少は格好良いと思っていた青流だが、その手の問いを改めて訊かれると非常に気恥ずかしい。
「ち、違うッ!これは闇に身を紛れさせるという重要な役割がだな……」
「まぁそれは良いとして、悠長に話をしている余裕は無いみたいだな。見ろ、下は警官でいっぱいだ。梯子をかけられてここに上って来られたら終わりだ」
 青流はそこでやっと己の置かれた状況を思い出した。
 見下ろすと、警官達は新たに現れた盗賊――旭を指差し、口々に何かを言っている。
(あぁああぁ……。よりにもよってこんな危険な場所に旭を……。どうすればいいんだ。ここで旭が警官に捕まったりなんかしたら、師匠に殺されかねない。いや、そもそも俺が連れて来たわけじゃないんだが……)
 八方塞がりな状況に、青流は頭を抱えた。旭は面白そうに警官達で埋め尽くされた路地を見渡した後、青流の方へ顔を向け悪戯っぽく笑う。
「助けてあげようか、青流」
「……は?」
「逃げ場が無いんだろう?僕なら君を助けてあげられる」
「何言ってんだ。こんな状況でどうやって……」
 言いかけ、ふっと青流の頭に疑問が湧いた。
(そう言えば、旭……どうやってここへ来たんだ?)
「まあ、見ていろ」
 旭は不敵に笑うと屋根の天辺へと歩いていった。屋根の上には白く月光が降り注いでいる。遮るものの無い場所で全身に光を浴び、旭はそっと目を閉じる。そして一つ息を吸い込むと、両手で大きく宙を掻いた。
 その指先の軌跡を描くように、そこだけ月の光の濃度が変わる。何も無かった宙空に、白金の曲線が現れる。

 それは、凝縮された月光の、糸。旭の指先に絡まり風にたなびく、細く、金色に光る、月の光を紡いで創られた糸だ。旭が両手を動かすたびにその数は増え、光る糸の束となって手のひらに溜まっていく。
 その光の糸を両手の指に絡ませ、旭はまるで舞を舞うかのように屋根の上を音も無く跳ねる。十本の指をあや取りでもするかのように複雑に動かしながら、糸同士を絡ませ、くぐらせ、何かの形を織り成していく。
 踊るように月糸を編む旭自身もまた、薄い光の膜をまとったように淡く光り輝いて見える。
 青流は呼吸さえも忘れてしまったかのように一切の身動きを止め、その光景に魅入っていた。
「出来た」
 旭は目を開け、再び不敵な笑みを見せた。青流は呆然と、織り上がったそれを見つめる。
「……翼?」
 それは、一対の翼。旭の背から伸びた、まるで白鷺の羽根のように優美で繊細な、白金に輝く大きな翼だ。
「では、逃げるぞ」
 言うなり旭は呆然と突っ立っている青流の脇の下に両手を差し入れ、胸に抱え上げるようにして屋根瓦を蹴った。
「ちょ……っ、な……っ!?ぎゃーっ!」
「暴れるな。落ちたら怪我をする」
 悲鳴を上げる青流に忠告し、旭は月光で織られた翼を羽ばたかせる。宙に吊り下げられたような状態の青流は顔面を蒼白にし、身を強張らせた。
 二人は呆然と空を仰ぐ警官達の頭上を易々と飛び越し、更に高く上昇した。しばらくしてこの状況に慣れてきた青流は、顔を上げて旭の翼を見、感嘆の吐息を漏らした。
「すっげぇな、それ……。人の背に翼なんて、まるで烏天狗だ」
その、青流からしたら褒め言葉のつもりだったであろう言葉に、旭の羽ばたきが一瞬止まる。
「ぎゃーっ!?」
 二人の身体は重力に従い急速に高度を落としかけ、だが旭が必死に羽ばたきし直したおかげでかろうじて墜落せずに済んだ。
「あ、危ねぇ……っ!何やってんだ、あんた」
「か、烏天狗って……。他にもっと言いようは無いのか?」
「他って……ああ!鳥女とかか?」
「……『天使』は出て来ないのか?」
「何だ、ソレ」
「……まあ、そうだな。そこらの庶民が西洋の宗教画など見たことあるわけが無いな」
 旭は羽ばたきは止めないまま、何かひどくがっかりした風に項垂れた。

 

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狂恋の王と骸の王妃〜A Tribute to Inês de Castro〜
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JUGEMテーマ:短編小説

 

※流血場面あり(詳細描写は避けていますが)、状況的にホラーな場面あり。

 苦手な方はご注意を。


 

 死の間際に、思った。結局、何が悪かったのだろう……と。
 貴方に愛されたことが悪かったのか、貴方を愛したことが悪かったのか……。
 私が貴方の妃にふさわしい“お姫様”でなかったことが悪かったのか、貴方に既に別の相手が決められていたことが悪かったのか……。
 それとも、貴方と私が出逢ったこと自体が、最悪の災いだったとでも言うのだろうか。
 貴方と私のこの恋は、たくさんの人を不幸にし、悲しませた。それなのに……それでもまだ、貴方を愛している。
 もう、物言わぬ骸としてしか貴方のそばにいられない――それなのに、まだ……。
 
 かつて私は“王子様と結ばれるお姫様”に憧れていた。宮廷で繰り広げられるロマンティックな恋を夢想したりもしたものだ。
 けれど運命が私に与えた役割は“王子様と結ばれるお姫様”ではなく、そのお姫様に仕える“侍女”だった。
 私の父は、王家の血を引くある公爵に仕えていた。国の摂政だったその公爵の姫君が、私の使える主人だった。
 彼女を見ていると、嫌でも思い知らされた。
 運命に選ばれた“お姫様”は、彼女であって私ではない。
 
 彼女は、まるで物語の女主人公のように激動の人生を歩んでいた。
 1歳で即位した王が少年となった時、花嫁として白羽の矢が立ったのが彼女だった。彼女には既に婚約者も内定していたが、国王の妻以上の良縁があるはずもなく、元の婚約は破棄された。
 その元婚約者は、彼女の結婚の翌年に暗殺され……黒幕は国王なのではないかと囁かれた。幼いがゆえにまだ形だけの結婚とは言え、夫に元婚約者を殺されるなんて――それが事実なのだとしたら、まるで泥沼悲劇の筋書のようではないか。
 
 そのまま行けば、彼女は実質的にも“王妃”となるはずだった。しかしこの結婚は長くは続かず終わりを迎え、王妃の座には異国から嫁いできた王女が就くことになり、彼女はまるで入れ替わるように、その王女の弟の元へ嫁がされることとなった。
 神に誓ったはずの結婚を破るなんて、罰当たりなのではないかと思ったものだが、“離婚”ではなく“結婚の無効”なら許されるのだと言う。
 神聖なはずの結婚にもそんな“抜け道”があって、大人や政治の都合でいいように振り回されるものなのだ。
 
 若き王が、実際に彼女のことをどう思っていたのかは分からない。
 ただ彼は、彼女がいざ結婚のために国外へ旅立とうとすると、それを阻んだ。
 そもそも彼は、彼女と別れてまで迎えた新しい王妃に、愛を注ぎはしなかった。まるで義務のように世継ぎだけ産ませると、愛妾を作って王妃を遠ざけていた。
 王女を侮辱された上に花嫁も寄越さないとあっては、嫁ぎ先の国が黙っているはずもない。両国は戦争状態に入り、それは四年も続いた。
 
 それは恋などではなく、何かしらの思惑があってのことだったのかも知れない。
 だが、まだ十歳だった私の目には、まるで一人の花嫁を、二つの国で奪い合っているように見えた。
 新たな王妃を得てもなお、摂政との不和が決定的になってもなお、異国と争うことになってもなお、一人の女を留め続けようとする男――まるでドラマティックな恋物語のようだと思った。
 罪深い考えだと知りながら、私は心のどこかで『自分もそんな風に奪い合われる“お姫様”になりたかった』などと思っていた。
 
 両国の争いは、異教の勢力が拡大してきたことを機に集結し、彼女は改めて異国の王子の元へ嫁ぐこととなった。私も侍女として彼女に同行することになる。
 祖国の王と別れた彼女は、しかし今度は異国の王子の妻となり、いずれはその国の王妃となる。王様や王子様と結ばれるべき人は、きっと生まれた時から決まっていて、どれだけ運命に翻弄されようと、必ず国母の座に就くようになっているのだ――そんな風に感じていた。
 “選ばれたお姫様”でも何でもない“侍女”の私には、きっとこの先も王子様とのロマンスなんて待ってはいないのだ。……あの頃は、そんな風に諦めていた。
 
 貴方と初めて逢った時、私はまだ十四歳だった。
 まだ世の中をよく知りもせず……なのに異国の宮廷で働くことになり、心細さに震えていた。
 家では“貴族の令嬢”でも、この国での私は“新参者の侍女”だ。右も左も分からぬ、おまけに知らない人間ばかりの場所で、女主人のために動き回らなければならない。
 そんな私を気にかけてくれ、優しい言葉と眼差しをくれた五歳年上の“王子様”に、どうしてときめかずにいられただろう。
 
 これが私の片想いなら“王子様に憧れる少女の甘酸っぱい初恋”で終わりにできた。
 いけないことと知りつつも、密かに胸の中で想うだけで諦めていられた。
 けれど、知ってしまった。――貴方も私を愛している。
 “選ばれたお姫様”ではなく、物語であれば脇役としてしか描かれない“侍女”の私を、選んでくれている。
 ――それを知ってしまったら、もう、貴方への想いをどうにもできなくなってしまった。
 
 けれど私たちの恋は、誰からも許されなかった。
 貴方の父である国王は、激怒して私を貴方から引き離した。
 正式な妻がいながら他の女を愛しているのだから当然だ――そう、頭では理解しながらも、心の底ではこう思っていた。
 ――義務として嫁いできただけの彼女より、私の方が貴方を愛している。貴女も、彼女より私の方を愛してくれているのに、どうしてそれが認められないのだろう。『愛は尊いもの』と教えながら、真実の愛よりも偽りの愛を優先させるのは何故なのだろう、と。
 十代の頃の私はそんな風に、ただ理不尽な世界を嘆いてばかりだった。
 勝手も分からぬ異国の地で、幽閉同然に自由を奪われ、周囲から“王子を誑かした悪女”と後ろ指をさされ続け……自分が何のために生きているのか、どうしてここにいるのか、分からなくなりそうだった。
 ただ、貴方が私を愛してくれているという事実だけが、心の支えであり、唯一の希望だった。
 いつか貴方が迎えに来て、私をこの苦境から救ってくれる――そう、信じていた。
 
 けれど、そんな私の“救い”は、彼女の不幸と表裏一体のものだった。
 次期国王の妃として世継ぎの男子を産んで二週間も経たぬうちに、彼女は帰らぬ人となった。
 お産の後に母親が亡くなることは、決して珍しいことではない。それはどれほど高貴な女性であっても同じことだ。私にとっても他人事ではない。
 だから、その話を聞いた時、様々な感情が込み上げ、胸の内を渦巻いた。
 お産と死への恐怖、彼女への同情、そして――やるせないほどの罪悪感。
 ……彼女は、どう思っていたのだろうか。自分を愛していない夫の子を産んで死ぬことを……。彼女は、どう思っていたのだろうか。貴女という夫のことを……そして、貴方の愛を奪い取り、妃としてのプライドを傷つけた私のことを……。
 初めてそのことに思い至り、震えるような恐ろしさを感じた。
 ただ恋に落ち、愛し愛される……そのことが、いつの間にか別の誰かを不幸にしている。
 恋を邪魔され、苦境に堕とされ、自分ばかりが被害者だと思っていた。貴女の妃でいられる彼女を、妬ましく思ったこともある。
 けれど彼女の目から見れば、私こそが最悪の“加害者”だったのかも知れない。
 そんな罪の意識に慄きながら……それでも私は、迎えに来てくれた貴方の手を、拒むことができなかった。
 
 初めて逢った日から六年の月日が流れ、私はもう“少女”ではなくなっていた。
 面差しも変わっていたはずだ。それでも貴方は、変わらず愛しげな眼差しで私を見つめてくれた。今度こそ私を妻に迎えてくれると言った。
 私たちは共に暮らし始め、子も生まれた。けれど、やはり正式な婚姻が認められることはなかった。
 国王は私のことを許さず、彼の臣下たちもそれに倣って私を蔑んだ。
 その一方で、貴方の寵愛を受ける私に近寄ってくる者たちもいた。私の兄弟たち、国を逃れて来た亡命貴族……。
 危ういことと薄々感じながらも、私は彼らを受け入れ、貴方に近づけてしまった。
 敵しかいない異国の宮廷に、私の“味方”が増えていくのは、何とも言えない安心感をもたらした。張りつめた日々の後に訪れた、その心の安息に酔わされて、危うい予感から目を逸らしてしまった。
 宮廷内で存在感を増していく“私”は、廷臣たちにとって苦々しいものでしかなかったのに……。
 そうしてついに、私を排除しようとする者たちが、国王の耳に酷い噂話を吹き込んだ。――私と貴方が、彼女の産んだ世継ぎの王子ではなく、私たちの間に生まれた子を王位に就けようとしている、と……。
 
 それはきっと、国王の逆鱗に触れる讒言だった。
 なぜならその国王も、かつては愛妾の産んだ庶出の兄に、父親の愛も王位も全てを奪われかけ、反乱を起こしていたのだから……。
 私は貴方の留守中に子どもたちと共に捕らわれ、国王の前に引きずり出された。
 私に向けられた国王の眼差しは、人間を見る目ではなかった。まるで汚らわしいモノでも見つめるような、冷たい瞳。
 私を“息子を惑わす悪女”と決めつけ、断罪することに何の疑いも抱いていない瞳。
 この人はきっと、自分の中の善悪の基準を、絶対のものと信じている。
 自分が善いと信じたものは誰にとっても善いもので、自分が悪だと断じたものは世界にとっても悪だと思っている。だから、貴方の気持ちにも、私の想いにも、耳すら貸さずに拒絶するのだ。
 だけど……大の男がこんな風にコソコソと、貴方のいない隙を狙って女子供ばかりを攫い、一方的に罪を突きつけて命を奪おうとする……この行為の一体どこに、正義があると言うのだろう。
 
 私を取り囲む男たちの殺意に、私は悟った。――これはもう、助からない。
 絶望と恐怖に心が支配されかけたその時、私の目に子どもたちの顔が映った。私と同じく、絶望と恐怖に怯えた顔……。
 この子たちだけは、私の道連れにしてはいけない。たとえ私と貴方の恋が道に外れた禁忌なのだとしても、何も知らずに生まれてきたこの子たちに罪などあろうはずがない。
 私は震える唇を開いて、国王に訴えかけた。――どうか、子どもたちだけは助けて欲しい。この子たちは私の子であると同時に、国王の血を引く“孫”なのだから、と。
 必死に訴えるうちに、国王の表情が変わっていくのが分かった。
 モノを見るような冷酷は目から、何かを憐れむような瞳へと……。
 もしかして、私の想いが通じたのだろうか。私たちのことを憐れに思って、子どもたちだけでなく、私のことも見逃してくれるだろうか――ほんの一瞬、そんな希望を抱いた。
 けれど国王は、子どもたちの命を奪うことだけを禁じると、私に憎悪の視線を向ける男たちに「その女はお前たちの好きにせよ」と言い放ち、その場を去っていってしまった。
 なんて酷い人なのだろう。どの道、私が殺されることを知りながら『自分は決断を避けたのだから関わりが無い』とばかりに、結果も見ずに逃げたのだ。
 
 子どもたちの泣き叫ぶ声が聞こえる。
 ――ごめんなさい。こんな残酷な別れになってしまうなんて……。ごめんなさい。私の子どもに産んでしまって……。
 もはや避けようもない死を前に、心の中で、愛する全てのものに別れを告げる。
 もう成長を見守ってあげられない子どもたち、異国の宮廷まで来てくれた兄弟たち、そして……最期に頭を過ったのは、貴方だった。
 その瞬間、思った。
 結局、何が悪かったのだろう。何をどうすれば、私たちは幸福に人生を終えることができたのだろう、と。
 答えは見出せないまま、私の人生はそこで途切れた。
 
 それから季節は二度巡り……今、私はなぜか大聖堂で壮麗な儀式に臨んでいる。
 身動きひとつできぬ骸の身体に豪華な衣装を着せられ、頭には王妃の冠を戴いている。隣には、国王の冠を戴いた貴方の姿。
 父王が亡くなり新たな王となった貴方は、私を墓の下から掘り起こし、王妃戴冠の儀式を行ったのだ。
 亡者を王妃に据えるなんて、皆から正気を疑われる行為でしょうに……。
 ……いいえ。貴女はもう既に、心を狂わせてしまっているのかも知れない。
 
 かつて私を悪女と蔑んだ者たちに、貴方は私への忠誠を求める。臣下として、王妃となった私の手にくちづけをせよ、と。
 そんなことをしても、私が生き返れるわけではないのに。そんなことをしても、貴方が狂王と嫌悪されるだけでしょうに……。
 生前の美しさなど見る影もない骨と皮ばかりの姿を人目に晒して、嬉しく思う女がいると思うのかしら。恐怖に引き攣った顔で忠誠のくちづけをされて、喜ぶ女がいるとでも思うのかしら。こんな愚かな復讐に、意味など無いのに……。
 なのに…………心のどこかで、嬉しく思っている私がいる。狂気じみたこの愛に、戦慄を覚えながらも、密かに喜ぶ私がいる。
 貴方の愛を疑っていたわけではないけれど、こんな姿に変わり果ててもまだ、愛してくれるなんて思わなかった。死した後も尚、愛し続けてくれるなんて思わなかった。
 こんな愛に出逢えただけでも、私の人生は幸せだったのかも知れない。
 ……けれど、取り残された貴方の方は、果たしてどうなのかしら。
 
 生きている間は、結局何が悪かったのか、答えを見つけることができなかった。
 でも、今になってやっと分かった気がする。
 もしかしたら、私のこんな“想い”こそが、全ての元凶だったのかも知れない、と。
 貴方に愛されることばかりを望んで、貴方が守ってくれることに甘えて、貴方に全てを委ねてしまっていた。
 自分の置かれた状況も、この国の行く末も、深く考えることもせず、ただ貴方の与えてくれる過保護なまでの愛に溺れてしまった。
 たとえ一国の王子であろうと王であろうと、運命の前では無力で、誰かを完璧に守りきることなど決してできはしないのに。“男に守られるだけのか弱い女”を理想として求められても、本当にそんな力無き存在で生きていられるほど、この世界はやさしくできてはいないのに……。
 貴方に守ってもらうだけではなく、自らも戦う力を身につけておけば良かった。自分の運命を自分で切り拓く力を、身につけておくべきだったのに……。今となってはもう、何もかもが遅い。
 
 骸となった私を、それでも貴方は変わらず愛しげな眼差しで見つめてくれる。けれどその瞳には、拭いようのない寂しさと哀しみの色が宿っている。
 ……ごめんなさい。こんなに愛してくれているのに、私は貴方を幸せにできなかった。悲しみと絶望を与え、狂気に堕としてしまった。
 それなのに、まだ貴方を愛している。もう貴方のために、何ひとつしてあげられないのに。
 私に触れる貴方の手を握り返すことも、貴方の名を呼ぶことさえ、できはしないのに。
 それでもまだ、貴方を愛している。
 もう、あの頃のように気持ちを通じ合わせることができなくても。声も想いも、何ひとつ貴方に届かなくても。
 それでも、ずっと……今も……。
 
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タイトル
タイトル
明治時代・怪盗ファンタジー小説 (物語の核心部分・抜粋)
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JUGEMテーマ:時代小説

 

・アイディアはあるものの、通しで書く時間的余裕が無さそうな明治時代怪盗モノ小説の途中部分です。
 
冒頭部分途中部分明治東京名所デート部分が既にUP済みです。)
 
・そのまま全没にするのはもったいないので、アイディアができている部分のみリサイクルしています。
 
・今回は物語の核心に迫る部分がちょこちょこ書いてあります。
 
・めぼしいシーンのみ抜き出して書いているので、段落と段落がつながっていません。
 


 

「不運だったな、旭。まさかこの場にもう一人、お前を狙う人間がいるとは思わなかったろう?――私にとっては、大変に幸運な偶然だったが、な」
「あ……あ……きよみち……さん……?」
 旭が呆然と名を呼ぶ。その名に、青流は旭を捕える男の正体を知った。
(雪ヶ崎清道……!?この男が病気療養中の旭の父親……!?)
「清道さん……お元気、なのですね?お身体はもう、よろしいのですね……?」
 羽交い締めにされているというのに、清道を見つめる旭の目は歓喜に満ちていた。頬も紅潮し、普段の旭なら決して浮かべることのない、まるで久々に想い人に会えた乙女のような顔になっていた。
 一方、それを見下ろす清道は苦虫を噛み潰したような渋い顔で吐き捨てる。
「紅のような言い方をするな……。と言っても無理か。お前は間違いなく紅の“人形”なのだからな」
「人形……?」
(さっきから、何言ってんだ、この男。紅って、確か旭の母親の名前だよな?月織部の姫だったとかいう……)
「清道さん、どうかお考えを改めてください。月織部への復讐などやめて、私と一緒に穏やかに暮らしましょう。おじい様だって、話せばきっと分かって……」
「何を言っているのだ?お前と穏やかに暮らす?紅でもない、ただの人形のお前と暮らして、私が幸せだとでも思うのか?私が求めていたのは、紅ただ一人。それが喪われた今、復讐以外に何を望めと言うのだ?」
「紅ならここにいます!姿かたちは変わっても、私の心と思い出は、変わらずここに遺っています!そのために私は命を懸けて……」
 旭は必死に訴えかける。だが清道は冷たく拒絶した。
「お前は紅ではない。紅の紡いだただの人形。そこに紅の記憶を写しただけのモノに過ぎん」
「そんな……私は、あなたに“子”を遺して差し上げたくて……」
「私の血を引いてもいない子を紡いで死なれるより、私は紅自身に一日でも長く生きていて欲しかったよ。……だが、今、お前という存在がここにいることには感謝しているのだ」
「清道……さん……?」
「私一人では、どう足掻いても月織部一族を滅ぼすことはできんからな。歴代最高の月織姫の力を受け継いだ、お前という存在が必要だ。手を貸してくれるだろう?お前は私の所有物なのだから」

 



「……みっともない姿を見せてしまったな。あの人の前に出ると、僕は僕でいられなくなる」
「どういうことなんだ、さっきの。わけが分からないことだらけだったが……あの人、お前の父親じゃないのか?お前は、雪ヶ崎旭じゃないのか?あの人と話している時のお前、まるで……」
(まるで、あの男に恋してるみたいに見えた……)
 そう思いはしたものの、何となく口にできず、青流はただ戸惑った瞳で旭を見つめる。旭は苦笑して口を開いた。
「僕は人間じゃない。月織姫・紅の生みだした月の光の人形だ」
「は!?お前、何言って……」
「僕を生み出した『母』――紅姫は、生来身体の弱い人間だった。とても追っ手を振り切っての逃亡に耐えられるような身体ではなかった。だから、駆落ちの最中に倒れて……その死の間際に僕を織ったんだ。ただ一人遺していく清道様のために。清道様が自分の後を追って命を絶つことの無いよう、自分の代わりに清道様を愛し、支える『娘』として……」
 旭は一旦言葉を切り、ぎゅっと目を閉じた。脳裏に声が蘇る。『旭』としての一番最初の記憶。生みだしたばかりの旭をその腕に抱き、死にゆく紅が清道に向け告げた、最期の言葉。

 ――清道さん……ご覧になって……。私たちの『娘』です。目元は私に、鼻筋はあなたに似ているでしょう……?あなたの望み通り、一番初めは……女の子。約束通り、ちゃんと清道さんの子……生んであげられて……良かっ……た。
 
「月糸により生みだされたモノは、月が沈み朝日が昇れば消えゆく運命。たとえ月織姫であっても、月の光の届かぬ場所でも実体を保ち続ける月糸細工を生むなど、不可能なはずだった……。だが紅は、一縷の望みをかけ、己の命、想い、全てを籠めて月糸を織り上げた。そうして生まれた僕は朝が来ても消えることなく残り……僕の代わりに、紅の方が朝日に溶けてこの世から消え失せた……」
 青流の脳裏に、これまでの月織部一族との闘いが蘇る。月織部の刺客の生みだした月糸細工は確かに、朝日が昇ると皆、溶けるように消え失せていった。
「ただ一つ、誤算があったんだ。紅はただ、あの人への漠然とした“想い”だけを籠められれば良いと思っていた。だけど僕に織り込まれたのは、生まれてから死ぬまでの紅の記憶の全て。月織姫としての記憶も、あの人への恋心も、僕の中には全て、薄れることも色褪せることもなく織り込まれてしまった。紅に似せて創られても、記憶を受け継いでいても、決して紅本人ではない僕が、あの人に愛されることなどありはしないのに……」

 



「なぁ、青流。お前を腹心の友と見込んで頼みがあるんだが」
「なんだ?……っつーか、お前、そろそろ止めとけよ。酒、呑み慣れてないんだろ?」
 何となく言葉が怪しくなってきた旭の手から徳利を取り上げ、青流はその顔を心配そうに覗き込む。そんな青流を真剣な目で見つめ返し、旭はとんでもないことを言い出した。
「……僕の…心を……盗んでくれ……」
 一瞬何を言われたのか分からず呆気にとられた後、青流はすぐに耳まで真っ赤になった。
「はぁ!?何言って……お前っ、さては酔ってるな!?」
「こんなこと、素面で頼めるものか。お前、盗めないものは無いんだろう?だったら僕の心を盗んでみせろ。そうすれば僕の能力も頭脳も自ずとお前のものになるのだぞ。悪くない話だろう?」
「…………何故、そんなことを俺に頼む?」
 旭の心を量りかねて、青流はひとまず、浮かんだ問いを口にする。
「………………恋が、したいんだ」
「…………あ?」
「恋が、したいんだよ。“母上”の思い出に縛られた偽りの恋でなく、僕だけの真の恋が。そうすれば、僕はあの人の呪縛から逃れられる。己の恋を糧にして、生きていける……」
 その答えに、青流の胸がずきりと痛んだ。
(あの人への恋心から逃れるために別の恋がしたいなんて、そんな考え自体がもう、縛られてるようなもんじゃねぇか……)
「ばかか、お前。恋なんてしようと思ってするもんじゃねえだろ。まして、誰でもいいなんて」
(そんな『誰でもいい』で選ばれたんじゃ、俺が情けなさ過ぎるだろうがよ……)
 酒に潤んだ瞳から目を逸らして咎めると、旭はむっとしたように頬をふくらませた。
「誰でもいいなんてわけじゃ…な……」
 だが、その言葉は全てを言い終わらぬうちに途切れた。見ると、旭は机の上に顔を伏せ寝息を立てている。
「……あぁ、もう。慣れねぇ酒をこんな呑むから……」
 青流は盛大な溜め息をつき、眠る旭の背に羽織をかけてやる。
「……盗めるもんなら盗んでやりてぇよ。何せ、俺の心はもうとっくにお前に……」
 言いかけ、青流はハッと言葉を止め、旭の顔を間近から覗き込む。
「おい。本当に寝てるんだろうな?寝たふりして起きてないよな?」
 しつこいくらいに確認し、青流は旭の依頼に答えを返す。
「お前がそう望むなら、盗んでやるよ。お前が言ったんだからな。後で悔いたって知らねぇぞ」
 

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在位九日の少女王の恋 〜A Tribute to Lady Jane Grey〜
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JUGEMテーマ:短編小説

 

 二月の冷たい風に、僕の処刑を見るために集まった冷たい群衆の視線。
 最期に見るのがこんな光景だとは、僕もよくよく救われない。
 せめて、もう一度、君に会ってから死にたかった。君の顔を見て、君の声を聴いて、君と悲しみを分かち合ってから死にたかった。
 だけど、本当は分かっている。君と僕とが同じ気持ちを分かち合うことはできないと。
 夫婦として契りを交わしても、心まで分かり合えるわけじゃない。君と僕が互いを分かり合うには、時間があまりに短過ぎた。
 式を挙げて一年足らず。実質的に夫婦として共に過ごせたのは、わずか2ヶ月……。
 それでも僕は君を愛していたけれど、この想いは、ちゃんと君に伝わっていただろうか。
 分かっていて欲しい。だけど、分かってもらえていなくても……君が僕を愛してくれていなくても、仕方がないことなのかも知れない。
 僕は君を、この呪われた家系に引きずり込んだ。この破滅の運命に、君まで巻き込んでしまった。
 君はもう、この運命を受け入れたと、人伝に聞いたけれど、僕はまだ諦めきれてはいない。
 だって、未だに分からないんだ。僕と君に、死に値するような罪なんて、本当にあったのだろうか、と。

 僕の祖父が首を ( ) ねられたのは、僕の父がまだ子どもの頃のことだったと言う。
 祖父は税の徴収に関わる仕事を任されていて、その仕事柄、人の恨みを買うことも多々あったらしい。税収は国の大切な財源だ。取り立てる相手から嫌われようと、誰かがその役目を負わなければならない。
 けれど祖父が憎まれ役を買ってまで果たした務めの代償は、大逆罪による処刑という、割に合わないにもほどがあるシロモノだった。
 祖父を死に追いやったのは、祖父が仕えた王の息子。それまでどれだけ王に忠誠を尽くそうと、その王が崩御し御代が替われば、全ての関係がリセットされる。
 新たな王は、祖父が恨みを買う立場にあったのを良いことに、国民の不満の矛先を全て祖父に向けさせ処刑することで、自らの地位を盤石なものにしたのだと、父は語った。
 権力とは、そして王の代替わりとは、それほどに危険で理不尽で恐ろしいものなのだ、とも……。
 祖父を殺した新たな王は、自らに尽くした重臣さえ、わずかの失敗で首を刎ねた。妃すらも次々と替え、そのうち二人を処刑場に送った。
 少しの過ちが文字通り“命取り”になりかねない、綱渡りのような危うい時代――そんな時代を生き抜いてきたせいか、父は 権力 ( ちから ) というものに固執した。
 権力の無い者に生き残る資格は無い――全てを手に入れるか、全てを喪うか、二つに一つなのだと、そう言うかのように……。
 

 祖父を殺した王が崩御し、後を継いだのは、まだ9歳の少年王。すぐに有力貴族の間で、実権を握るための争いが始まった。
息子が一部の廷臣の操り人形にならないようにと遺された先王の遺言は無視され、結局は新王の母方の伯父が摂政の座を手に入れた。だが、そんな彼もまた謀略に敗れ、その座を失った。彼を罠にはめ、処刑場送りにしたのが、僕の父だ。
 父が手を汚してまで手に入れた、実質的なこの国の最高権力者の地位……。けれどそれは、あまりにも儚いものだった。
 父の仕えた少年王は生来病弱で、その命が長くないであろうことは誰の目にも明らかだった。
 すぐにでも、また王の代替わりがある。……そして次の王になるであろう人物は、父にとってあまりにも都合の悪い相手だった。

 君との縁談が決まった時、僕は父の思惑も知らされていた。
 間もなく命尽きるであろう少年王の次の“寄生先”として、父は君に目をつけた。
 王家の血を引く君を僕と結婚させ、本来の継承順を飛び越えてでも次の新たな王に据えてしまえば、父の権力と命は守られる。
 全てを知っていて、それでも僕は逆らわなかった。家を継ぐ長男でもなく、まだ二十歳にも満たない若造の僕に、発言権など無きに等しい。それに、このまま父が失脚し処刑されるのを黙って見ていることもできない。
 ただ、何も知らずにこの家の運命に巻き込まれる君を「可哀想だ」と思ったのを覚えている。

 貴族の結婚は、本人同士の意思など入り込む余地も無く、家同士の思惑で勝手に決められるのがほとんどだ。
 上に兄が三人もいて家督を継ぐ可能性などほとんど無い僕は、早いうちから女性の扱いを覚えさせられた。
 権力も財力も持たぬ部屋住みの身でも、身分の高い女性に取り入ることができたなら、出生栄達が望める。
 美形の多い我が家の血は、幸い僕にもきちんと受け継がれていて、女性の人気はそれなりにあった。けれど、そんな外見や恋の手管など、君にはまるで通用しなかった。

 君がこの結婚に乗り気でないのは、顔を見ればすぐに分かった。
 その心を解きほぐそうと、優しく微笑みかけても、甘い言葉を囁いても、君の顔は曇ったままだった。
 これは駄目かも知れないと諦めかけていたのに――君は、結婚披露宴の食事にあたって倒れた僕を、優しく気遣ってくれた。
 意に染まない政略結婚のはずなのに……僕のことを嫌っていると思っていたのに、どうしてそんなことをしてくれるのか……。不思議な 女性 ( ひと ) だと思った。

 君は、今まで僕が出逢ってきたどんな女性とも――いや、どんな人間とも違っていた。
 貴族の子女として親の言いなりに育ってきたのは僕と同じはずなのに、君には“自分”というものがしっかりあるように感じられた。
 逆らえば叱責されると分かっているのに、親や歳の離れた大人たち相手に堂々と自分の意見を告げる君を、尊敬にも近い感情で見ていた。
 経験も人脈も何の権力も持たない僕たちは、ただ周りに流されることしかできなかったけれど、それでも君は諦めずに戦おうとしていた。
 僕には無いその毅さを、眩しく思った。それでも報われず苦しむ君を、自分のことのように哀しく思っていた。

 君を知るまで、僕は恋を知った気になって、その実、全く分かっていなかった。
 恋の“形”ばかりを先に覚え込まされて、それが全てなのだと思い込んでいた。身体さえ結ばれれば、それで良いのだと思っていた。
 だけど……どれほど肌を触れ合わせても、満たされない想いがあることを、初めて知った。
 形ばかりの契りを交わしても心が通い合わない空しさを、初めて知った。

 君はきっと、元々とても情が深い人なのだろう。
 嫌々結婚したはずの僕とも、向き合う努力をしてくれた。少しずつではあったけれど、笑顔を見せてくれるようになった。時折見られるその微笑みが、滅多に見つけられない宝物を見つけたようで、僕は好きだった。
 君にも僕を好きになって欲しかった。君をもっと笑わせたかった。けれど、僕にはどうすれば良いのか分からなかった。
 君は、口でいくら容姿を褒めたところで、世辞だと思って聞き入れてくれない。他の女性なら通じるアプローチも、君にはまるで効果が無い。
 ただ、君の好きな古代ギリシャの話をねだった時には、嬉しそうに語ってくれた。
 本当は、僕が興味があったのは同じ古代ギリシャでも芸術に関することで、君の好きなギリシャ哲学とは話題が少しズレていたのだけど……珍しく目を輝かせて語る君の顔を見ていたくて、言い出せずにずっと難しい哲学の話を聞き続けてしまった。
 あのまま、少しずつでも心を近づけ合って、本当の夫婦になっていけたら良かったのに……。

 君と結婚してから2ヶ月も経たないうちに、身体の弱かった少年王はとうとう崩御してしまった。遺言書で時期国王に指名されたのは、君。――もちろん父の策略だった。
 何も知らされていなかった君は、半狂乱になって拒否したね。でも、結局は周りの大人たちに押し切られてしまった。あの時の僕には、どうして君がそこまで即位を渋るのか、まるで理解できなかった。

 王とは言うまでもなく、この国の最高権力者だ。その座にあれば、誰に脅かされることも、誰の機嫌を窺う必要も無い。権力者の気まぐれに怯え、未来の自分が斬首される悪夢にうなされることもない。愛する家族だって友人だって誰からも傷つけられないように守ることができるし、誰に気兼ねすることもなく言いたいことが言え、国の行く末さえ自分の望む方向に動かせる。
 そんな素晴らしい地位が手に入るのに、なぜ自分からそれを棄てようとするのだろう――あの時の僕は、ただ単純にそんなことを思っていた。

 父は当初、君の伴侶である僕も、王として一緒に即位させるつもりだった。だけど君は、それだけは断固として拒否した。
 その日、僕と君は初めてケンカをした。
 君は僕に言ったね。「王位なんて、貴方が考えているほど素晴らしいものでも何でもない」と。
 それは、きっとそうだろう。僕だって、王位がただ素晴らしいだけのものだなんて思っていない。
 だけど君の語るそれは、王位さえ望める血を持ち生まれたから言えることだ。玉座に就いた後の重圧や責任への不安など、その可能性をわずかでも持っているからこそ考えつくことだ。
 自分より強い権力を持つ者にびくびくし、自分と家族の未来のために少しでも高い地位を渇望する人間の気持ちなど、きっと君には分からない。
 これまでに何百、何千、いや何万という人間が、心密かに王の座を夢見、けれど叶うはずもない夢と諦めてきたことだろう。どれほどの数の人間が、王の理不尽な命に苦しみ『なぜ自分ではなく、あの男が王として生まれついたのか』と運命を呪ったことだろう。
 綺麗事だけでは大事なものは守れない。手に入れられる時に力を手に入れておかなければ、いざと言う時、命取りになる――僕は、そう聞かされて育った。
 君が嫌がり拒否しようとしたその王冠を、僕は煮えたぎる湯の中からだって拾い上げたいほどに欲しかった。
 本来“王族”という選ばれた血筋でなければ望むべくもないそれを、王族でも何でもない、まして反逆者として裁かれた者の血を引く僕が手に入れるなんて、まるで途方もない奇跡のようじゃないか。
 ――だけど、その奇跡を君は否定した。
 どれほど言葉を尽くしても君には分かってもらえなくて、君と僕とは違う人間なのだと、絶望的なまでに思い知らされた。

 あんな言い争いをして、てっきり君にはもう嫌われてしまったと思ったのに、母が怒って僕を実家へ連れ戻そうとした時、君は女王の威厳でもって母を黙らせ、僕を引き留めた。
 意見の合わない僕を、なぜ君はそれでもそばに置いてくれたのだろう。あの時の君の気持が、未だに僕にはよく分からないんだ。

 君がなぜ、あれほど王位を疎んでいたのか、今では僕もさすがに理解している。
 玉座の上には、髪の毛のような細い糸で吊り下げられた剣があり、そこに座る者の命を常に脅かしている――“ダモクレスの剣”と呼ばれるその故事は、確か君が好きな古代ギリシャのものだったね。
 王という立場でさえ、安泰なものなどでは決してなく、臣下の裏切りや民衆の反乱に常に脅かされ続ける。そのことを僕が思い出したのは、実際に己の立場と命を脅かされてからだった。
 僕たちは王位を守りきるにはあまりに若く、その上、周りの大人たちはまるで頼りにならなかった。
 本来王位を継承するはずだった姫君が挙兵すると、廷臣たちはあっさり僕たちを見放した。
 父は、現在の国教とは違う古い宗教を信仰する姫君に皆の支持は集まらないと踏んでいたらしい。が、実際には宗教の違いより何より、血の正当さこそを国民は支持した。

 彼女を支持した人間のうちどれほどが、彼女が王位に就いた後のこの国の姿をちゃんと見据えていただろう。
 君を見限った人間のどれほどが、君の毅さや優しさを、ちゃんと知っていただろう。
 王の人格でも目指す国の姿でもなく、“正当な王位継承者が不当に簒奪された王冠を奪い返す”という、よくある分かりやすい 物語 ( ストーリー ) を、国民は選んだ。
 君と僕は反逆者として為す術もなく捕らわれ、牢へと送られた。
 君が王位に就いて九日。あまりに短い在位だった。

 僕には未だに分からない。結局、何が悪かったのかと。
 君が、もっと王位に近い血に生まれなかったのが悪かったのか。僕が、権力を得るために手段を選ばないような父の下に生まれたのが悪かったのか。
 それともこの世界が、自分の命を守るために他者を犠牲にしなければいけないような、そんな残酷な世界なのが悪かったのか。
 結局、何をどう生きれば、僕と君は幸せになれたのだろう。それとも全ては運命により予め定められていて、何をどう足掻いたところで、何ひとつ変えられなかったのだろうか。

 牢に入れられてから5ヶ月近くが経ち、とうとう僕たちの処刑の日が決まった。
 それを告げられた時には怯えて泣き喚いたりもしたけれど、今は何とか虚勢を張ることができている。もう、泣こうが喚こうが、事態は変わらないから。せめて立派な最期だったと観衆の同情を買えるよう、恐怖を堪えて演技する。
 ヒトは単純で気まぐれな生き物だから、悪人だと蔑んだ相手でさえ、健気で堂々とした態度を見れば簡単に憐れんでくれたりする。まして君はまだ十六歳。僕もまだ二十歳にも満たない若さだ。
 そんな僕たちへの同情は、この処刑を決定した残酷な新女王への不信感や不満となって新しい御代に陰を落とすだろう。僕にできる抵抗は、もはやそれくらいしか残されていないのだ。

 本当は今も、恐くて仕方がない。なのに、妙に実感が湧かないでいる。
 今はこうして確かに物を考え生きている僕が、明日には――いや、数分後にはもう存在しないなんて、どういうことなのか理解が及ばな過ぎて、想像もつかない。
 死そのものに対する恐怖より、そのために与えられる痛みへの恐怖の方が勝っているくらいだ。

 44年前に僕の祖父が斬首刑に処せられ、半年前には父も首を刎ねられた。そして今日はこの僕が……。
 三代も続けて大逆の罪で処刑されていれば、充分“呪われた家”と呼べるだろう。
 祖父は、そして父は、どんな気持ちでこの時を迎えたのだろう。
 そして、今日という同じ日、僕の後に処刑の時を迎えるはずの君は……。

 昨日、最期に一目君に会いたいと望んだのに、君は「会っても辛くなるだけだから」と拒否した。
 その言葉は、君の本心なのだろうか。本当は、この運命に巻き込んだ僕を憎み、顔も見たくないと思っているのではないだろうか。
 僕は、君に憎まれても仕方のない男だ。
 だって僕と結婚したせいで、君は今日、命を喪ってしまうと言うのに、それでも僕は君と夫婦になれたことを幸せだったと思ってしまっている。
 君と僕が結ばれなければこんな運命は訪れなかったのだと分かっていても、君以外の人間と結ばれる運命を想像もできずにいる。
 だから結局、僕のこの人生の結末は、自業自得なのかも知れない。

 もう、最期の時が来る。目隠し布を巻かれ、冷え冷えとした世界の姿さえ見えなくなる。
 ――痛くないといいな。僕も。そして、君の時も……。
 処刑場に身を横たえ、僕は閉ざされた視界の中で、そっと君の面影を偲んだ。

 

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