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言ノ葉スクラップ・ブッキング〜シーン&シチュ妄想してみた。〜

管理人が妄想したシーンやシチュエーションをショート・ストーリー(?)にしたもの。
ジャンルはファンタジー・恋愛などなど。

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明治時代・恋愛・怪盗・異能バトル・ファンタジー小説(序盤のみ)
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JUGEMテーマ:時代小説

 

 まぶたを上げると、世界は一面朱金の色に変じていた。西の地平に沈む間際の太陽の色。一瞬、太陽が落ちてきたのかと本気で思った。
 無意識に太陽を探して空を仰ぐ。見上げた空は、暗かった。だがそれは太陽が落ちたからではない。まるで墨が溶けて空ににじみ出したかのように、黒いものが空を覆っている。下の方は濃く黒く、上の方へ行くに従ってだんだんと薄くなるそれの向こうに、淡い春の青空と、白金に光る太陽が透けて見えた。
 そして、その空をひらひらと朱く、小さな羽虫のように舞い飛ぶものがある。いくつもいくつも、空を彩る模様のように無数に頭上を飛び回るそれは――火の粉。辺り一面を覆う炎が吹き上げる、朱色の炎の欠片。

 ――銀座の町が、燃えている。

 青流 (  せいる ) は悲鳴を上げて飛び起きようとした。だが、身体が上手く動かない。
「……何てこった。家が……」
 呆然としたような呟きが小さな震動と共に伝わってきた。それは目の前の背中から発せられたもの。青流を背に負った父親の声。
「父ちゃん!母ちゃんは!?」
 叫ぶと、父親はハッとしたように辺りを見回し始めた。
「……っ、善吉さん!」
 逃げ惑う人々の中に顔見知りを見つけ、父親は青流を背負ったまま駆け寄る。
「航さん……」
 善吉と呼ばれたその男は何故か父親から目を逸らした。
「波は!?波を見なかったか!?」
 母の安否を必死に問うその声を、青流は背中で聞いていた。
「……すまない、航さん。波さんは……まだあの中だ。逃げろって言ったんだが、商売道具を燃やしちまうわけにはいかないって言って……そのうちに火が移って来て……。助けられなかったんだ。すまない」
 父親は一瞬無言になった。
「……謝ることは無ぇよ、善吉さん。早く逃げな。身重の女房をいつまでもこんな所に置いておいちゃいけねぇ」
 父親の言葉に男は頭を下げながら妻の手を取り去って行った。
「父ちゃん……」
 不安をにじませた声で呼ぶと、父親は静かに青流を道に降ろした。
「青流。おとなしくここで待っていろ。何があっても父ちゃんの後をついて来るんじゃねぇぞ」
 今にも駆け出そうとする父親の、その着物の裾を青流は必死に掴んで止めた。
「何処行くんだ、父ちゃん」
「母ちゃんを助けに行く。絶対母ちゃん連れて戻って来るから心配すんな」
「駄目だ。危ないよ!」
 青流は着物の裾を握り締めたまま激しく首を横に振る。その頭が、優しくぽんと叩かれた。
「大丈夫。江戸っ子は火事と喧嘩にゃ慣れっこなんだよ。お前だって母ちゃんをあの中に残しておきたくはないだろ?」
「それはそうだけど……っ」
「それにな、惚れた女のために命を懸けるのが男の道ってもんだ。ま、お前にゃまだ分かんないだろうがな」
「父ちゃん……っ」
 固く裾を握り締めていたはずの指が、大きな手でゆっくりと外される。そして笑み一つを残し、父親は炎の中へと飛び込んで行った。
「父ちゃん!父ちゃん……っ!」
 必死に呼んでも、その背中は振り返らない。
 ただ一人残された青流は立ち尽くして叫ぶことしかできなかった。
 その背が紅蓮の炎に隔てられ見えなくなっても、青流は呼び続けた。声が嗄れ、涙で舌が回らなくなっても。最早どんなに叫んでも父親には届かないと知っていても。ずっと――……。

 

 脳裏に響いたかつての己の絶叫に、青流は何かをこらえるようにきつく歯を食いしばった。
閉じていた目を開ける。目に映るのは、月光の下ぼんやりと白く浮かび上がる煉瓦街の街並み。道を照らすのは禍々しいほどの紅蓮に燃えさかる劫火ではなく、ロウソクの灯火のようにやわらかな、ガス燈の灯り。夜の深い闇の中静かに眠る街は炎に包まれてなどいない。当然のことだ。あれはもう十年近くも昔のことなのだから。
 二階家の屋根の上に立って見下ろす銀座の街は、青流の記憶が夢か幻ででもあるかのように美しく整然と立ち並んでいる。かつて炎に焼き尽くされ、炭と瓦礫に埋めつくされていた頃の面影はまるで無い。それどころか火事で失われる以前の江戸の名残を残した木造平屋の立ち並ぶ町並みの面影さえ、もうどこにも見出せなかった。
 首を振って記憶の残滓を振り払い、かたわらに下げていた布袋を担ぎ上げる。ずしりと肩に食い込んで重いそれを担ぎ上げたまま、青流は屋根の上を一気に駆けた。助走をつけ、屋根を蹴り、次の建物へと飛び移る。白く降り注ぐ月光の下、身にまとった漆黒の外套が鳥の翼のようにばさりと翻った。
「……おい。あれ、『 ( からす ) 』じゃないか?」
 ガス燈の下、酔いを醒ますようにへたり込んでいた数人の酔っ払いが青流の姿を目に留め騒ぎ出す。
「おう!本当だ!烏だ!『闇夜の烏』が出たぞ!」
 屋根の下から自分を指して叫ぶ人々の声に、青流の口元には知らず笑みが浮かんだ。闇に身を紛れさせるために身につけた黒い外套。それが鴉の翼のように見えるために名付けられたしごく安直な俗称だが、悪くはない。
 酔っ払いたちは青流の後を追うように空を仰ぎながら路上をよたよたと走り出す。その目に敵意や嫌悪の色はまるで無い。そこにあるのは世を騒がせる義賊に対する好奇心と憧憬の色だけだ。
屋根を飛び移る際に再び垣間見えたその姿に酔っ払いたちは歓声を上げ、口々に喝采を叫ぶ。
「よっ!大義賊っ!」
「次も頼むぞ〜!闇夜の烏!」
「絶対捕まんなよ!夜烏〜っ!」
「頑張れよ〜!烏小僧!」
 最後のひと声に、青流の片足がずるりと滑る。慌てて体勢を立て直し、再び屋根から屋根に飛び移りながら彼は口の中だけで苦々しく呟いた。
「烏小僧ってのは無いだろ。烏『小僧』ってのは」
 月の下に飛ぶ影はまだ大人になりきれていない、どこか頼りないもの。闇夜の烏と呼ばれた盗賊は『小僧』と呼ばれるにふさわしい年若い少年の姿をしていた。

 

 煉瓦造の近代建築の群れを抜け、街灯も無い昔ながらの木造家屋の群れを抜け、なおも青流は走り続ける。目指す先は浜離宮にも程近い芝区・新網町。青流の古巣であり東京府下三大 貧民窟 ( スラム ) のひとつにも数えられるそこは貧民や咎人たちの吹き溜まりだった。
 まるでマッチ箱をいくつも並べたような、屋根が低く間口の狭い小さな家々のひしめき合う中を慣れた足取りで通り抜け、青流はひとつの建物の前で足を止めた。藁葺きと言うにもお粗末な、腐って数もまばらになった藁を屋根に当たる部分に引っ掛けただけの掘っ立て小屋。その戸口に近い地面の上を、青流は月明かりを頼りに凝視する。
 そこにはあるのは地面に突き刺さった木の枝。細い小枝を十字に組んで浅く掘った地面に埋めてある。それはあらかじめ決めてある、この家の本来の主が不在だという合図だ。安堵の息をつき、余分な者を起こさぬようできるだけ静かに戸を叩く。
「虎、虎。いるか?」
 しばらくの間を置いて、木戸がガタガタ音を立てて開いた。
「烏のあんちゃん」
 顔を出したのは歳の頃七、八歳の少年。
「親方はいないな?」
「うん。今日は稼ぎが良かったから、その金持って賭博宿に行ってる。きっと明日の昼までは帰って来ないよ」
「そうか。ほら、今日の分。分かってるだろうが、親方には絶対見つかるんじゃねぇぞ」
 小さな手に布袋の中から掴み出したものを渡してやる。袋の中で揺さぶられて多少よれてしまった幾枚かの紙幣。それは今夜盗み出して来たばかりの『闇夜の烏』の戦利品だった。
「いいか?ちゃんと皆で分けて使うんだぞ。次はいつ渡してやれるか分からないから少しはどこかに隠してとっておいて、な」
「こんなに……。いいの?」
「いいって。俺も元はお前らと同じ身の上だしな」
「すごいなぁ、烏のあんちゃんは。元はおれたちと同じなのに、今は立派な義賊様だもんな。おれもいつか、あんちゃんみたいになれるかな?」
 純粋な憧れを込めて見上げてくるその瞳に、青流の胸がずきりと痛んだ。どこか後ろめたさに似たその胸の痛みを押し隠し、髪が伸びきってボサボサに乱れた小さな頭をぽんぽんと叩く。
「……ばか。盗人なんか目指すんじゃねぇよ。どうせ目指すならお天道様の下を堂々と胸張って歩けるような立派なカタギの職でも目指しな」
「……うん」
 少年の顔がくもる。青流にも分かっていた。一度この境遇に堕ちた子どもが真っ当な職に就くことなど奇跡に近い。だが、それでも自分を目指すなどとは言って欲しくなかった。貧民のための義賊として一部の人間に熱狂的にもてはやされる盗賊・闇夜の烏。だが自分が本当は『義賊』などではないことを青流は痛いほど自覚している。
「じゃあ、俺はもう行くからな。他の奴らにもよろしくな」
 感傷を振りきり、だいぶ傾いてきた月を見上げる。今夜はまだ会わねばならない人がいる。
「うん。ありがとう、烏のあんちゃん。これからも頑張ってくれよなっ」
 幼い声で告げられる応援の言葉に笑みを作って手を振り、青流はその場所を後にした。

 

 明治十五年。繁華街のガス燈が珍しいものではなくなっても、まだ多くの人々が月の光や星明かりを頼りに夜を過ごすこの時代。黒い外套を身にまとい夜の帝都の屋根の上を軽々と跳び渡る少年盗賊が巷の話題をさらっていた。
 夜烏天狗、烏小僧、闇夜の烏など、書かれる新聞によってその呼び名は様々だが大半の人々の間では『烏』と言えば話が通じる。
資産家の屋敷に忍び込んで大金を盗み取り貧民窟にばらまくその行動は『明治の義賊』として一般庶民の間では概ね好意的に受け入れられていた。
 だが、一見無作為に盗みに入っているように見せかけて、実はその裏に巧妙に隠された意図があることにまだ誰も気づいてはいなかった。全てはひとりの人間の野望のために。義賊などというのは世間を欺くために作り上げられた偽りの姿に過ぎない。本当の青流はその野望のために操られる単なる駒に過ぎないのだ。

 

「……なんだ。まだ来てないのかよ」
 青流は廃寺の扉を開いたままの格好で立ち尽くし、吐き捨てるようにぼやいた。帝都の中でも人の住む集落からはやや離れた所にある、その存在すら忘れられてしまっているような廃寺。そこは彼のねぐらのひとつであり、今夜の待ち人との待ち合わせの場所でもあった。
 すっかり軽くなった袋を下ろし、外套を外す。待ち人は今夜も遅れているようだ。
 今にも踏み抜いてしまいそうなぎしぎしと軋む床に腰を下ろし、袋の中から盗んだ金を取り出し数える。帰り着くまでの間にほとんど貧民窟の路地にばらまいて来てしまったので残った額は微々たるものだ。それでも子どもがひとり数日の間生き延びるのには充分足りる。青流はほろ苦い笑みを浮かべそれを懐に仕舞った。
 何をするでもなく、膝を抱えて屋根に開いた穴から夜空に浮かぶ星を見上げること数十分。足音も気配も一切感じさせることなく、唐突に廃寺の扉が開いた。青流は思わずびくりと肩を揺らす。
「すまない。大分待たせたか?」
 姿を現したのは眼鏡に背広姿の背の高い青年。青流はほっと安堵の息をついた。
「……師匠」
 師匠と呼ばれた青年はすぐに後ろ手に扉を閉める。床を軋ませることもなく優雅にさえ見える足取りで歩み寄ってくる青年に青流はふくれっ面で恨み言を吐いた。
「毎度のことだけどよ、おどかすなよ師匠。せめて足音くらい消さずに来てくれよ。心臓に悪いっての。俺の寿命縮めたいのかよ?」
 青流の言葉に青年は笑みを零す。
「すまないが、こればかりは身に染みついた習い性だからな。他の者と区別がついて良いじゃないか」
 文句を言っても笑って受け流すその態度に青流は突っかからずにはいられない。
「つーか、カタギの人間がそんな身のこなししてるっつーのは問題有るんじゃねぇのか?」
「なに。その辺はちゃんと心得ているさ。人前ではカタギの人間らしく振る舞っている」
 青年はさらりと言うと、青流の前で足を止めた。青流の膝のそばに放り出された空の袋を見て笑みを深くする。
「今夜も無事盗み出せたようだな。皆が噂していたぞ、烏小僧」
 青年の言葉に青流の顔が嫌そうにしかめられる。
「師匠までその名で呼ぶのかよ」
「良い名だと思うがな。かの大盗賊、鼠小僧にちなんでいるのだろう?験が良くていいじゃないか」
「嫌だっつーの。烏小僧なんて何かの妖怪みたいじゃねえか。だいたい鼠小僧だって最期は獄門で処刑されてんだろう?全然縁起が良くないっての」
「まあ、それもそうか」
 青年は再びくすりと笑った。
「では『夜烏の青流』。今夜もご苦労様。お前のおかげで次の入札は雪ヶ崎が落札でほぼ決まりだろう」
 仲間内だけで呼ばれる青流の通り名を口にして、青年が労をねぎらう。だが青流の胸中は複雑だった。青年にこうして労をねぎらわれる度に思い知らされる。自分が世に言われる義賊などではなく、この青年の手足となって動くただの駒でしかないのだと。
「ああ、そうかよ。俺には関係ねぇけどな。……で?今夜は何で遅れたんだ?」
 内心の煩悶を顔には出さず、青流は努めて平静な口調で問う。
「すまなかった。旭様の定期検診が長引いてな」
 青年の言葉に青流は苦虫を噛み潰したような顔になった。
 雪ヶ崎旭。話にしか聞いたことはないがそれは東京でも名の知られた大資産家、雪ヶ崎家の次期当主に当たる御曹子の名だった。歳は青流と同じ、数えで十五。一代で財を築いた財界の重鎮・雪ヶ崎雄道の孫として生を享けたがために生まれた時から何不自由無い生活を約束されている少年。
「……また『旭様』か」
 呟く声には苦々しさがにじみ出ていた。聞き咎めて青年は渋い顔になる。
「仕方がないだろう。私は雪ヶ崎家の主治医なのだから」
「にしたって一月の間に一体何度『定期検診』したら気が済むんだよ?あんたらいくら何でもお坊ちゃまを過保護にし過ぎじゃないのか?」
「……仕方がないだろう。旭様は特別なんだ」
「特別特別って生まれ以外に俺と何がどう違うって言うんだよ。俺なんか自慢じゃねぇが生まれてこの方医者にかかったことなんて一度もねぇぞ」
「お前と旭様を一緒にするな。旭様は繊細なお方なんだ。お小さい頃なんてそれはもう病弱でお育てするのに難儀したのだぞ」
(……あ、やべぇ。師匠の旭様苦労話が始まっちまった)
 熱のこもった口調で主家の子息の思い出話を始めた青年に青流はげんなり肩を落とした。もう何度も、覚えの悪い青流ですら暗唱できるほどに繰り返されてきたその苦労話は、苦労話とは言うものの、聞いている方にはどう聞いても『旭様』が可愛いと言っているようにしか聞こえない。
(あーあ。まったく、親バカ……じゃねぇな。医者バカ、なんて聞いたことねぇし……何て言うんだ、こういうの)
 頭の中で青年に当てはまる単語を探していると、我に返ったのか青年が決まり悪そうにわざとらしく咳払いをした。
「まあ、そういうわけで勘弁してくれ。雪ヶ崎の将来のための計画とは言え、本来の仕事をおろそかにするわけにはいかないからな」
「ふん。どっちが本来の仕事なんだか」
 青年の言葉を鼻で嗤って吐き捨てる。青年の言う雪ヶ崎家の主治医などというのが単に表向きの世を忍ぶ仮の姿でしかないことは、誰に教えられるまでもなく青流の目には明白だった。
「雪ヶ崎もやることが腹黒いよな。義賊と称した盗人に競争相手の財産盗ませて貧民窟に捨てさせるなんてさ」
「何を言う。盗みの相手は雪ヶ崎の競争相手ばかりではないだろう?」
 青年は平然と嘯く。
「それは単なる目くらましだろうが。ま、俺はいいけど?どこから盗もうが金は金。盗めば盗むだけ俺の名も上がるし」
「そうだな。お前の名もすっかり東京の人間に知れ渡ったようだ。私を超える日も近いかな」
「……冗談。そんなわけないだろ。師匠の名は未だに語り草だぜ?江戸最後の義賊『霧霞の蒼七』の名はさ」
 揶揄するように言ってみても青年は平然としたものだった。
「その手の口伝はひとり歩きするものだからな」
 かつての名声など、もうどうでもいいとでも言いたげな態度。それを見せつけられるたびに青流は自分がこの青年の足元にも及ばないことを思い知らされる。初めて会ってから六年。必死で腕を磨きこの青年の背中を追ってきた。だが、まだただの一度でもその背に追いつけたと思えたことはない。
「……師匠はもうやらねぇのかよ?義賊をさ」
 やや卑屈な気持ちになりながら問うと青年は笑って口を開いた。
「私がやらなくてもお前が充分にやってくれているだろう?まあ、雄道様がそれをお望みになるならやるだろうが、もう『義賊』とは名乗れないだろうな」
 青流だったらとても笑えないそれを青年は笑みを浮かべたまま口にする。
「しかし今の私が盗賊をするのは現実問題厳しいものがあるな。大分腕も鈍っているだろうし、下手に動くと勘のいい旭様に気づかれる恐れがある」
 再び青年の口に上ったその名に青流の口元が歪む。
「……ったく、どこまで過保護なんだか」
 これまでも青年との会話から察してはいたが、雪ヶ崎家のお坊ちゃまは自分の家が裏で何をしているのか全く知らないらしい。孫を溺愛する祖父やお坊ちゃま命の主治医らによって悪いもの、汚いものを目に映すことがないよう厳重に目隠しされ守られている。自分が汚い手段を使って蓄えられた財産により生活していることも知らず、雪ヶ崎の繁栄のために手を汚す青流という存在がいることも当然知らないのだ。
「お前、前々から思っていたが何故そう旭様を目の敵にしているんだ?」
 青年は心底不可解、という表情で問うてくる。
(……分からないのかよ)
 青流は呆れた気分で目の前の青年を見つめた。青流と同じような境遇に生まれ育った青年であれば、少し考えれば思い至りそうなものなのにどうにも旭様のこととなると目が曇るらしい。
「旭様はお前が思っているようないけ好かない成金のお坊ちゃんなんかじゃないぞ。それはもう誰にでもお優しく、品があって頭も良くて可愛らしい、素晴らしいお方なのだぞ」
 青年は曇りきった目で熱弁を振るいながら、見当違いの賛辞でお坊ちゃまを庇う。
「べつに。この先会うことも無いだろうお坊ちゃんが優しかろうと品があろうと何だろうと俺には関係ねぇし。つーか、可愛らしいって何だよ。俺と同じ十五だろ、そいつ。もう可愛らしいって歳じゃねぇんじゃねえの?」
「何を言うか。旭様は幾つになろうと永遠に可愛らしいに決まっている!そこらの人間と一緒にするんじゃない!」
 青年は握り拳でわけの分からないことを力説する。普段は全く隙が見当たらない、冷静沈着を絵に描いたようなこの青年が何故旭様のこととなるとこうも盲目になるのか青流には不思議でならない。
「そんなに俺と違うもんなのか?雪ヶ崎のお坊ちゃんはさ。……どうせ俺なんかもう可愛くもねぇし、優しくもねぇし、品も頭の良さも最初っから無ぇけどよ」
 無意識に口から零れたその言葉はどこか拗ねたような響きをしていた。青年は青流の心情に気づいてか、そっと苦笑する。
「お前と旭様を比べてみたことなどないよ。そもそも他の誰とも比べようがない。旭様は『違う』からな。我々とは」
「違うって、何がだよ?」
 問い返しても答えは返って来なかった。青年はただ、どこか寂しげに見える瞳で微笑むばかりだ。
「……それより青流。お前また私のことを『師匠』と呼んだな」
 青年が話題を変える。青流はぎくりと顔を強張らせた。
「そ、そうだったっけ?」
「確かにそう呼んだ。……『師匠』と呼ぶのはよせと言ったはずだろう?こんな呼び方では他の者に一発で私とお前の関係が露見してしまうではないか」
「今は俺と師匠しかいないんだからいいじゃねぇかよ」
「甘いな。普段から心がけていないと、いざという時にボロが出るものだ。口に馴染んだ言葉というものはふとした拍子にポロッと出てしまうものだからな」
「……へいへい。分かったよ。霧峰サン」
 青流のどこか投げやりな口調に霧峰は仕方がないな、とでも言いたげにわざとらしく肩をすくめた。

 

 青流と霧峰が出会ったのは青流がまだ十歳にもならない頃。当時青流は親方と呼ばれる男の下、他の似たような境遇の子どもたちと一緒に少年スリ師として働かされていた。
 大通りの雑踏を狙い、大人たちの懐に手を忍ばせる。見つかって、警官に突き出されるならまだいい方。相手が悪ければそのまま半殺しの目に遭わされることもざらな危険な行為だ。戦利品のほとんどは親方に巻き上げられたが、稼ぎが良ければその分他の子どもたちより少しは待遇が良くなった。稼ぎが悪ければ食事すらまともに与えられない。
 隙間風の吹き込む小さなあばら家に仲間数人、横になる隙間もないほど無理矢理に詰め込まれ、いつも腹を空かせ、ほとんどの仲間は己の将来に望みなど抱いていなかった。このままこの街で闇に手を染めたまま大人になり、やがて稼げなくなったら道端でみじめに野垂れ死ぬ。そのことを皆疑ってもいなかった。
 未来に希望も何も無い、閉塞感に満ちた世界。それでも、ただひとり――青流だけは諦めていなかった。貧民窟の、低く連なる軒の下から覗く小さな青空を睨みながら、いつかはこの境遇から抜け出してやるのだと毎日毎日、心の中で何度もくり返してきた。ふたりが出会ったのはそんな頃だ。

 

 その日、青流はいつものように大通りで標的を物色していた。スリを成功させるには腕前はもちろん、相手を選ぶことも肝心だ。青流は幼いながらもそういう意味での人を見る目には長けていて、仲間内でも一番の稼ぎ頭だった。
 その日青流が目をつけたのはいかにもお使いの途中といった格好の、大風呂敷を片手に下げ仕立てのいい着物に身を包んだ優男――霧峰だった。霧峰は背ばかりはひょろりと長いが細身で腕も細く、顔立ちもおっとりと優しげで、標的にするはうってつけに見えた。
 いつものように、無邪気な子どもらしくはしゃぎ声を上げながら通りを駆け、わざと――だが決してわざとらしく見えないよう霧峰に身体ごとぶつかっていく。いかにも前を見ずに走っていたからぶつかってしまった、というように。そのままの勢いで霧峰の懐に手を滑り込ませようとしたその時、逆にその手を取られねじり上げられた。青流はすんでのところで歯を喰いしばって悲鳴をこらえる。
「腕は良いようだが、狙う相手を間違えたな。小さなスリ師君」
 霧峰はこんな状況には似合わぬおっとりした口調で青流の耳元に囁いた。腕の痛みと、これからどんな報復をされるか分からない恐怖に青流の心臓は今にも壊れそうに大きく脈打っていた。だが青年はあっさり青流の腕を解放した。
「今度からはもっとよく相手を見て狙うんだな。同族も見抜けないんじゃスリはやめた方がいい」
 青流は呆気に取られて青年の顔を見つめた。青年は怒りの表情を浮かべるどころか微笑んでさえいる。
「おれのこと……警官に突き出さないのか?」
 おそるおそる問うと、青年は微笑んだまま首を横に振った。
「私にも身に覚えのあることだからね。かつての自分と同じものを警察に売ったりはできないさ」
「おれと……同じ?」
 青流には信じられなかった。目の前の青年はどう見ても良家の使用人だ。金に困ってスリを働いたことがあるなど考えられない。
「嘘だ。あんたがおれと同じだなんて」
 浮かんだ疑問をそのまま口にすると、霧峰は昔を思い出すかのように遠い目で空を仰いだ。
「私の場合は親切な方が拾い上げて下さったからね。そういうもので生計を立てなくても良くなった。だがかつてはスリをしていたことも、盗賊として大商人や大名のお屋敷から金を盗み、そこらにばらまいていたこともある」
「盗んだ金をばらまく……!?あんた、義賊なのか?」
 青流は一瞬で目を輝かせた。青流はスリ師も盗賊も大嫌いだ。だが義賊だけは別格だった。同じ他人から金品を奪い取る咎人でも、単なる盗賊と違い、義賊は自分の益ではなく不幸な境遇にいる者たちを救うために盗みを働く。人々から称賛され、羨望の目で見つめられる、弱い者、貧しい者にとっての救世主的存在。それは闇世界に生きる少年たちにとって数少ない憧れの的だった。
「……義賊、か。そういう風に名乗っていた時期もあるにはあるな」
 霧峰は笑みの中にわずかに苦いものをにじませる。だが青流は気づかずに必死な顔で霧峰の袖をつかみ、叫んだ。
「おれを、あんたの弟子にしてくれ!」
 霧峰は驚いたように目を見開き、青流の真剣な目に本気を悟ると困ったような顔でやんわりと断りの文句を告げた。だが青流は諦めなかった。弟子にしてくれるまでは絶対に放さない覚悟で霧峰の袖にしがみつき、睨まれようと振り払われようと決して放しはしなかった。霧峰がとうとう音を上げて、しぶしぶ青流を弟子にすると言ってくれるまで、ずっと。

 
 こうして無理矢理押しかけ弟子になった相手がかつては江戸最後の義賊と呼ばれた伝説的な盗賊であったことを、青流は後に知ることとなる。
 霧峰は盗賊としての技術と義賊としての心得を徹底的に青流に叩き込んだ。実際に盗みを始めるようになってからは、詳細な見取り図と逃走経路を用意してさえくれた。青流がスリの親方と縁を切り、かろうじてあった衣食住の保障と庇護を失ってからもこの歳まで無事生きながらえることができたのは霧峰のおかげと言って過言ではない。

 だから、当初は信じて疑っていなかった。霧峰は弟子の自分を大事に思ってくれているのだと。だが、違った。そのうちに青流は真実に気づいた。自分が霧峰の言うまま何気なく盗みの標的にした屋敷のほとんどが、商業上雪ヶ崎家と競い合っている家のものだということに。自分の盗みが結果的に、全て雪ヶ崎家の益となっていることに……。
 雪ヶ崎家の現当主・雪ヶ崎雄道はかつて盗賊として追われていた霧峰を拾い上げ、彼の望むまま西洋式の医学を学ばせ、更には雪ヶ崎家の専属医として雇い入れた、霧峰にとってはかけがえのない恩人だ。霧峰が雪ヶ崎家のためなら手を汚すことも厭わない覚悟であることは言葉の端々から常に感じ取っていた。だが、自分までがいつの間にか雪ヶ崎の繁栄のための駒に変えられているなど思いもしないことだった。
 だが、それを知ったからと言って霧峰から離れることも、盗賊をやめることもできはしなかった。父も母も既になく、かつての仲間とも縁を切ってしまった青流にとって霧峰だけがこの世で唯一の味方であり、貧民窟と盗みに入る屋敷以外の世界を知らず、盗み以外に身を立てる術を知らぬ青流に今更他に生きる道など無いのだから。

 


 

・この後の数段落は、既にあるにはあるのですが、ちょっと変更したいと思っているので中略で。
    ↓
・霧峰に雪ヶ崎家が一晩、旭と使用人の女性のみの留守状態になることを知らされた青流は、前々から気になっていた旭の顔を一目見ようと雪ヶ崎邸へ忍び込みます。

 


 

 雪ヶ崎邸は母屋と離れの二つから成る。純日本建築の母屋と回廊で繋がった洋風建築の離れ。その離れの二階に雪ヶ崎旭の部屋はあるという。
 庭木に身を隠しながら慎重に離れに近づく。月光に白く輝く洋館を見上げると、庭に面して半円形に張り出したバルコニーに一つの人影が見えた。青流の胸が知らず鼓動を速める。
 下からではよく見えず、青流は音を立てぬよう慎重に庭木の枝によじ登った。身を乗り出し、濃く茂り合う枝葉の合間から目を凝らす。そして――目に映した雪ヶ崎旭の姿に、思考が止まった。

 

 旭は背筋を真っ直ぐ伸ばし、下ろした両手をやんわりと前で組み、顔を上げて月を見ていた。深い決意を秘めたような、強く静かな眼差しで。散り零れ吹き寄せる桜の花びらに目を向けることもなく。ただ、月だけを。
 その頬を、月光を弾いて白金に光るものが時折すっと流れていく。透明な、涙の雫。旭は静かに泣いていた。声を上げることなく、姿勢を崩すことも顔を歪ませることもなく、強い眼差しで月を睨み据えたまま。大きく開かれた瞳からただ涙だけを零し続ける。こんなに静かに泣く人を、青流は今まで見たことがない。
(……何を、泣いているんだ?……あんたは……)
 目を奪われていることにも気づかぬまま、青流はその少女に涙の理由を問いたいと切実に、思った。
 ――少女(・・)。そう、少女なのだ。
 雪ヶ崎家の『お坊ちゃま』であるはずの雪ヶ崎旭。だが、今目に映るその姿は、どう見ても青流と同じ年頃の少女。しかも、夢ではないかと疑いたくなるような現実離れした姿を持っていた。
 それは、今まで青流が一度として目にしたことのない姿。純粋な日本人ならまず持ち得ないだろう姿。
 四月のまだほんのり冷たい風に揺れる旭の短い髪は、満月の色をそのまま映したような淡い金色をしていた。瞳は、月明りにかざした翠玉のような澄んで光る碧。
青流が今まで心のどこかで憎んできた『少年』は、青流の想像など遥かに超えた、夢のように美しく儚げな容姿を持つ『少女』だった。

 何故雪ヶ崎家の御曹子が女なのかとか、何故金髪碧眼なのかとか、そんな当たり前の疑問すら頭に浮かばず、青流はただ視線を縛りつけられ固定されてしまったかのように旭を見つめていた。目を離すことができなかった。静かに泣き続ける少女の美しい横顔を一瞬たりとも見逃すまいとでもいうように、見つめ続ける。
 どれくらいの時が経ったのかは分からなかった。青流の視線の先で、それまでじっと動かずにいた旭のまつ毛がふるり、と揺れる。旭はそのまま幾度か瞬きをし、次いでその視線をゆっくり庭の方へとめぐらせた。少女の姿に魅入ったまま、思考の停止している状態の青流は身を隠そうという考えも働かなかった。
 少女の目が庭木の枝の上、身を乗り出した青流の姿を捉えて見開かれる。視線が合った。
青流はぎくりと身を強張らせ、まだろくに頭も働かないままとにかく身を隠そうと足を動かした。が、その足は足場を捉えてはくれなかった。
「危ないっ!」
 旭が悲鳴のような声を上げる。だがその時、既に青流の身体は木の上にはなかった。均衡を崩したままのおかしな格好で地面へと落下する。声を上げる暇もなかった。血液が一気に逆流していくような恐怖の中、青流は衝撃を覚悟して目を閉じる。
 だが、衝撃は思いもしない形で訪れた。青流の身体が空中で逆さになったまま、何かに引っ張られでもしたようにがくんと揺れる。ぎょっとして目を開くと、青流の足首にそれまでは無かったはずの金色の糸が絡まっていた。
(何、だっ?これ……っ)
 金色に輝いているとはいえ見た目は普通の糸と変わらない、か細く頼りないものだ。そんなもので青流の体重を支えきれるとは到底思えない。だが現実に青流の身体はその一本の糸によって宙吊りになっていた。
「……くぅうぅっ」
 苦しげな呻きに目を転じると、さきほどの少女が苦悶にも似た表情で金色の糸を引っ張っていた。まさかと思って少女の握る糸の行方を目で辿ると、それは確かに庭木の枝を経由して青流の足首に続いている。どんな方法でこの糸を出現させ、青流の足に絡みつかせたのかは不明だが、少女が青流を助けようとしていることだけは理解できた。
 だが、助けようにも少女の細腕では青流を引っ張り上げることなど無理なのだろう。青流の身体は上に上がるどころか、小刻みに震えながら徐々に下へと下がっていく。
 力んでいるせいかほのかに紅潮した少女の顔や首筋を、いく粒もの汗の玉が月光をきらりと弾いて流れ落ちていくのが見える。その腕は痙攣するように震え、その眉は痛みを堪えるかのようにきつく、きつく寄せられていた。
(なんで、そこまでして助けようとする?侵入者の、俺なんかを……)
 必死の表情で金色の糸の端を握り続ける少女の姿が、あまりに痛々しくて、自分などのためにそんな顔をして欲しくなくて、気づくと青流は声を上げていた。
「もういいっ!これくらいの高さなら落ちたところで死にゃしない!」
 その叫びに旭は碧色の瞳を見開いて青流を見つめ――至極あっさり頷いた。
「ああ。それもそうだな」
「……え」
 少女の手のひらが開かれる。金色の糸はするりとその手の中から滑り落ちていった。旭の手から離れた途端、糸はまるで初めから幻だったかのように空中に霧散して消える。
「お前……っ」
 文句をつけたくても喋っている余裕はなかった。青流の身体が今度こそ重力に従い落下する。その身体は庭の植え込みの上に落ち、ぽきぽきと音を立てながら小枝を折っていった。
「ああ、そうだ。何も引っ張り上げる必要などなかったな。そのまま下へ下ろせば良かったものを。僕としたことが」
 無数の小枝に肌を傷付けられる痛みに耐えながらも青流の耳は少女の呑気な独り言を拾っていた。
(お前っ、そんなこと呑気に言ってないで少しは俺の心配をしろ!一応さっきまでは助けてくれる気あったんだろうがっ!)
 言ってやりたくても落ちた衝撃と痛みに言葉が出せない。だが、植え込みが衝撃を吸収してくれたせいか、細かな傷はたくさん負っても大きな怪我はないようだった。
 よろよろと身を起こし、地面の上にへたり込む。屋敷の二階を仰ぎ見ると、そこに既に旭の姿はなかった。代わりにどこかの戸が開く音がし、こちらへ近づいてくる気配がある。青流は視線を転じた。
 桜舞い散る中、芝生を踏みしめて少女がこちらへ歩み寄ってくる。見た目にも軽やかなその歩みはわずかの足音も立てていなかった。
 旭は傍近くまで来て歩みを止めると、立ったまま青流の顔を見下ろしてきた。青流はしばらく言葉もなくその顔を見上げ、動くことができなかった。
 間近で見ると、更に目を奪われる。目も、心も、吐息さえ全て目の前の少女に吸い込まれていくような錯覚を覚える。
「お前が……雪ヶ崎旭なのか?」
 信じられない思いで問う。旭はわずかに首を傾けて逆に問いかけてきた。
「そういう君は?どこの盗人だ?」
 容姿に反した、まるで少女らしくない口調だった。しかも、先ほどまでの儚げな泣き顔が嘘のように不敵な顔で笑んでいる。
「今夜うちが主不在だと知っていて盗みに入ったのか?その情報を何処で手に入れた?」
「何処って、それは……」
「などと訊いても盗人が白状するはずもない、か」
 うっかり答えそうになっていた青流はその言葉にはっと口を噤む。
「ところで、大丈夫か?怪我の方は」
 今更それを訊くか、と青流は思ったが侵入者という自覚がある手前一応助けてくれようとした相手にそれを言うことはできなかった。
「……ご覧の通り、大した怪我は無ぇよ」
「そうか。それは良かった。それほどの高さでもなかったし、下に植え込みがあったから大きな怪我にはならないとは思ったが、万一ということもあるからな」
 一瞬でそんな計算をしていたのか、と青流は軽く目を瞠る。旭は青流の全身を眺め、そこに実際に大きな怪我のないことを確かめると、安堵したようにほっと息をついた。
「本当に良かった」
 旭は満面の笑みを浮かべて言葉を続ける。
「これで心置きなく君を捕縛できる」
「はぁ!?」
 目を剥いて立ち上がる青流の目の前で、旭は軽く腕をひと振りした。その指先にどこから湧いたのか、再びあの金色の糸が現れる。しかも今度は一本ではなく数本が束になっている。旭はそれを手のひらに掴み取り、両手でこすり合わせるような仕草をした。ばらばらだった糸が縒り合わされ、あり得ない速度で太く長く変じていく。呆然と見守る青流の眼前で、それは一本の金色に光る縄へと変化していた。
「動かない方が身のためだ。下手に動けばこの縄はより一層君の身に絡みつき、締め上げる」
「……はぁ?」
 意味を理解できぬままただ声を上げる青流の身体に、旭の手から放たれた金色の縄が絡みつく。それはまるで金色の蛇のようにひとりでに青流の身体の上を這い、その身をきつく縛り上げた。
「ぎゃあぁあっ!?何だ、これ!?」
「暴れない方がいい。動くと余計に身体を締めつけると言っただろう?」
 青流はそれ以上立っていられず再び地面に転がった。その耳に、ばたばたと慌しい足音が飛び込んでくる。
「旭様っ!何事です!?」
 目を上げると白髪混じりの女性がひとり、目を見開いて立っていた。
「ああ、縫。丁度良かった。縄を持ってきてくれないか?盗人を捕えたんだ」
「まあぁ!盗人ですか!?」
「安心しろ。もう手も足も出ないように縛り上げてある。それに見てみろ。まだこんなに若い少年だぞ。大方まだ盗人を始めたばかりのひよっこだろう」
「あらあらまぁまぁ。本当ですねぇ。可愛らしい盗人さんですこと」
「お前ら……ひよっこだとか、可愛らしいだとか、勝手なことを言うなっ」
「何も盗らないうちに家人に見つかった挙句、足をすべらせ自滅する盗賊のどこがひよっこでないと言うんだ?」
 冷静に切り返され、改めて己の間抜けさ加減を思い知らされて、青流はそのままこの場に穴を掘って埋まってしまいたいと切に思った。そんな青流に容赦なく、旭は縫の持ってきた、今度は金色でも光ってもいない普通の縄で青流の身体を更ににぎちぎちに縛り上げる。そのまま青流は旭に縄の端を引っ張られて母屋の中に連れて行かれた。

 

 

記事続き

 

・以前ちょこっと書いた明治時代怪盗モノ小説の冒頭部分です。

 
(明治時代当時には、まだ「怪盗」という言葉が無さそうなので、本文中では「怪盗」という言葉を使っていません。←うろ覚えですが、怪盗という言葉が一般に使われ始めるのは、確か江戸川乱歩さん以降かと…。)
 
・まだ“長編癖(=小説を書こうとするとどうしても長くなってしまう症状)”の抜けていなかった頃のものなので、今の小説より読みづらいかも知れません。その辺りはスミマセン。

・雪ヶ崎旭は対外的には「御曹司(男)」ということになっていますが、正真正銘女の子なのでBLではありません

・旭は月夜の晩限定の特殊能力持ちで、月夜の晩・月光の下では金髪碧眼の姿になります。昼は黒髪黒眼で、男装すればギリギリ男子にも見える容姿に変わります。

明治15年当時は「東京都」ではなく「東京府」です。さらに言えば東京23区ではなく東京15区の時代です。雪ヶ崎邸は麻布区にあります。

・冒頭の火事は明治5年に起きた「銀座の大火」と呼ばれる火災です。午後3時頃、兵部省の屋敷(和田倉門内の旧会津藩邸)から出火し、折からの烈風にあおられ銀座御堀端から築地にかけての41か町、4,879戸、28万8,000坪(95万400平方メートル)を焼失する大火となったそうです。この火災の復興としてレンガの舗装道路や銀座煉瓦街(レンガ造りの西洋建築の表面に漆喰を塗った建物が並ぶ街)がつくられました。

・この後、いろいろあった後、青流は雪ヶ崎家の使用人となり、旭は青流と共に怪盗を始めます。

(今度は雪ヶ崎家の利益のためではなく、旭の考える『義賊』として。)

・今後の展開としては、怪盗ドタバタ活劇の他、旭と同じ一族の特殊能力持ちとの異能バトル展開が…。

・機会があれば続きを書きたいところですが、時間がとれるかどうか…。

 
(たぶん大長編になりそうですし、“資料調べに時間がかかる系”の小説でもありますし…。おまけに明治時代モノにしても扱う知識がだいぶマニアックな気が…。銀座の大火とか三大貧民窟とか、きっと『誰が知っているんだ』というレベルですよね…。)

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